試し読み(一部のみ)
広告まんが道の歩き方:1巻/基礎編
●01.フツーの漫画と広告や広報の漫画は何が違う?
・1)構成
・2)読者
・3)依頼者

01.フツーの漫画と広告や広報の漫画は何が違う?

 広告漫画は、漫画としての在り方、役割、扱われ方なども、普通の漫画とはだいぶ異なるんだ。ナニがどう違うのか、そこをキチっと認識していないとズレた漫画、広告として役に立たない漫画になっちゃって、読者にもウケないし、広告主にも見限られちゃうの。


1)構成

 ボクは『ゴルゴ13』を愛読しているんだけど、そのエピソードの多くには、冒頭に舞台となる国や地域の解説ナレーションが挿入されている。専門的な分野や技術を扱うエピソードの時も、それらの基礎知識が紹介されることが多い。
 こうしたナレーションは物語の背景であり、物語を理解するための付帯情報なのだけど、そこを読み飛ばしてしまっても漫画自体は十分に楽しめるように構成されている。これはゴルゴに限ったことではなく、どんな漫画でも同じだろう。知識があればもっと深く楽しめるけれど、なくてもちゃんと楽しめる。漫画って、そういうふうに描くのが普通なんだよね。
 だけど広告漫画や学習漫画は違うんだ。普通なら読み飛ばして構わないハズの解説部分こそが主役。そこを読み飛ばされたら、広告にも学習にもならない。
 だから何が何でもソコを読んでもらわなきゃならないんだけど、無理やり読ませることはできないし、注意書きで「ココ絶対読んでね」って書いておけば読むってモンでもない。つ〜か、そんなやり方で読ませることができたとしても、頭に残らなければ無意味だ。しかも漫画としてオカシイものになっちゃうし。
 なので、解説部分もストーリーにきっちり組み込んで、自然と読むように仕向けるしかないんだよね。つまり、解説を読み飛ばさないストーリーを考えなきゃならないということなんだ。

 例えば「あるメーカーの新製品のコピー機」を宣伝する漫画なら、探偵モノにして、そのコピー機ならではの機能や性能が犯人逮捕の決め手になるようなストーリーとかね。冒頭で主人公たちの元にコピー機が納品されて、様々な機能を確認するシーンなどを入れておくと、自然な形で商品紹介をしやすくなるし、登場人物の一人を、よくわかってないボケ役にしておけば、色々質問してくれたり勘違いしてくれたりして、ソレにツッコむ形で会話形式にしやすくなる。
 とにかく、ストーリーがいつも「広告すべきこと」に絡んでいて、その「広告すべきこと」のおかげで登場人物たちが助かる、楽になる、といった展開にしなきゃならないんだよね。
 どんな広告漫画でも、こういう工夫が必要になるの。広告内容を上手くストーリーに盛り込んで、印象に残るようにしなきゃならない。読み終えたときに読者が広告内容に憧れたり、共感したりするように構成しなきゃいけないわけ。それが「広告」ってモンだからね。
 つまり、読んで終わりじゃない漫画ってコトなの。普通の漫画なら、ラストシーンを読み終えたら満足してもらいたいんだけど、広告漫画のゴールはソコじゃないんだよね。漫画を読んだことで広告内容を知り、ソレに興味を持ち、お店に行くとか商品を買うといった「行動」をしてもらって、ようやくゴールなのよ。読者がそういう行動をするように仕向ける漫画が広告漫画なの。
 だから、広告内容を盛り込んだ漫画というだけでは足りないことが多いんだ。
 広告商品がすっごく魅力的なモノなら、ソレを劇中で紹介するだけで済んじゃうだろうけど、そんなに甘くないことのほうがずっと多いのよ。そもそも、そこまで魅力的なモノなら、漫画で紹介するなんていう手間かけなくても売れるはずだもんね。
 なかなか商品価値をわかってもらえない、伝わりにくい。そういうことだから漫画で紹介しようなんていう奇策を考えるわけで、だけど漫画なら簡単に説明できるってモンでもないからアレコレ悩まなきゃならないわけ。

 漫画になってりゃいいってモンじゃない。
 漫画としてどんなに面白くても広告としてダメだったら、依頼者はもう二度と仕事を発注してくれない。
 かといって広告的にOKでも漫画としてダメなら、漫画で広告しないほうがマシってことになる。どっちかじゃない。必ず両立させなきゃならない。それが広告漫画の宿命なんだ。


2)読者

 普通、漫画を読むときは、ソレを読みたいときだよね。アタリマエだけど。
 でも広告漫画は違うんだよ。むしろ漫画なんか読みたくないときに読んでもらうしかない場合があるんだ。だって広告だから。
 街角でチラシを受け取って「おおっ、受け取ったからには読まなきゃ!」って、いきなり盛り上がる人は滅多にいないでしょ。番組本編は夢中で観ていても、CMはトイレタイムでしょ。モチベーション下がってるでしょ。
 そういう状況で読まれるのが広告漫画なんだよ。有名な作家や、元々ファンの作家が広告を描いたっていうならソレ自体を読みたがってもらえるだろうけど、作者のことも商品のことも知らないなら「そんなのどうでもいい」になっちゃう。でも、知らない人、興味ない人だからこそ知らせたいわけで、お呼びでないところに出しゃばって読んでもらわなきゃならないんだよね。

 そんなわけで広告漫画はいつもアウェーなんだ。そう思ったほうがいい。
 だからこそ、読者のハートを掴む工夫が必要だ。ちょっとしたギャグで笑わせて、思わず「あるある!」って感じさせるなど、読む気がなかったのに読んでしまうように引き込むナニカが必要なんだよ。そもそもタダで配布してるモノだし。大抵の場合、タダでもらったモノ(しかも興味なかったモノ)に人は高いモチベーションを持たないんだよねぇ。
 とにかく広告漫画は、常に心理的アウェーにいるんだと思うことが大事。そこから逆転してこそ広告としての機能を果たせるのだから。
 なのでボクはいつも「読む気がなくても、つい読んでしまうようになっているか?」を気にして描いているんだ。普通だったら読む気のある読者=ファンを重視して描くだろうけど、広告漫画では逆なんだ。メインターゲットは読む気のなかった人。そういう人を振り向かせてこそ、広告になるのだから。


3)依頼者

 依頼者の違いは、最も決定的で、しかも恐ろしい違いだ。
 普通の漫画は出版社の依頼で描かれるけど、広告漫画は、漫画とも出版とも関係ない一般企業や団体が依頼者なんだ。
 漫画の編集者なら漫画のプロ(のはず)だけど、普通の人はカンペキに素人。下手すりゃ漫画をほとんど読んだことがない。そういう人だからこそ、萌えだの、ご当地キャラブームだの、クールジャパンだのといった言葉に乗っかって、漫画に過剰な期待をしてたりするんだよ。ソレがどういうことなのか、全く考えずにね。そういう人々を相手にするんだから、そりゃ恐ろしい。
 なにせ、中には漫画とアニメの区別すらわからない人がいるんだから。混同しちゃってるんじゃないの。区別の仕方が根本的に違ってるの。
 例えばボクが出会った社長さんには「今ドキの萌えキャラ=アニメ」「それ以外の絵柄=漫画」と認識していた人がいた。動画か静止画かじゃないの。最近流行ってるモノがアニメで、古いのが漫画。う〜ん、確かに昔はアニメも「テレビ漫画」って呼ばれてたからなぁ。今でもその頃の感覚のまま、という60代以上の社長さんなんて、全然珍しくないんだよね。この人にとってはアニメってのは、今ドキのハイカラな呼び名ってコトなんだろうなぁ。

 でもねぇ、相手が漫画と言っていても、ソレが実際には何を指すのか、というところから推理しなきゃならないんだから大変なのよ。先の社長さんは「アニメ描いてくれ」って言い続けてたんだから。よくよく聞いてみると、自社商品のポスターに萌え的な女の子を使いたいってコトであってアニメ関係ないんだけど。
 まぁ、ここまでスゴい勘違いの人はそれほど多くはないのだけど、微妙かつ致命的にズレてる例は少なくないの。なので、素人さんはアレもコレもわからないと思っておくほうがいいんだよね。そういう人が依頼者でスポンサーで最大の権限を持っているんだから、本当に油断できないんだ。
 この素人であるという部分は、漫画そのものの扱いにも大きく関係する。
 漫画出版社なら、漫画は商品そのものだ。イイモノにしようと一所懸命になるのは当然のこと。少しでも漫画を理解し、漫画家とも良質な関係でいようと心がけてくれる(中には身勝手な人もいるだろうけどさ)。
 でも、一般企業は漫画を売る気なんかないんだ。彼らは彼らの商品やサービスを売りたいのであって、漫画はそのための手段。それも数ある手段の1つに過ぎない。いつも漫画で広報するわけでもないのだから、漫画に詳しくなろうという気もない。あくまでも、その場限りのことなんだ。

 あ、ソレに文句言っちゃアカンよ。あなただって門外漢な領域では同じなんじゃないかな。クルマの整備なんか全然知らんし覚える気もないけど、修理やメンテはして欲しい。そういうモンでしょ。広告漫画を引き受けるってことは、相手が知らない上に理解する気もないってコトも前提として折り込んでおかなきゃいけないんだ。
 そういうわけで、当然のことだけど、依頼者側に漫画制作のための助言なんか求めたって無駄。全く当てにできないどころか、むしろ黙っていてほしいくらい。でも、そういうわけにもいかないのよね。なんせ、お客様だから。
 元々が漫画をよく知らないから、作品の良し悪しもわからない。プロの仕事と素人のラクガキの区別がつかないレベル。先の「アニメが欲しい社長」も、鉄板の萌えイラストと「いまいち萌えない娘」が区別できなかった。つまり、今どきの萌え絵を欲しがってるくせに、それがどういうモノか知らないし理解もできないんだ。社長の言う「古臭い漫画」を描いたとしても、気付かなかったに違いない。
 そういう人たちを相手にするのが広告漫画の世界なんだ。
 要求するわりにはタッチなんか理解できない。親戚のオッチャンが小学生の絵を上手いな〜って感心するようなモンなんだ。自分より上手けりゃ全部同じに見える。そういう人々ばかりに囲まれて漫画を描かなきゃならない。それが広告漫画のディフォルト。ボクは慣れちゃったけど、コレ、フツーの漫画家だったら「そこまでわかんないなら依頼してんじゃね〜よ!」ってブチ切れてもオカしくないだろうなぁ。
 とにかく、依頼者との関係でもアウェーなのよ。みんながそうじゃないけど、そういうケースが少なくないんだ。
 だから漫画家から見るとトンチンカンで無茶で理不尽に感じるナニカを言い出すことも珍しくない。しかも、ソレが無茶だと気付いていない。漫画の仕事とはどういうモノかを理解していないから、平然とトンデモないことを言ってくるのよ。
(漫画の仕事じゃなくても無茶なコトを言い出したら、それはその人がブラックなだけだから、さっさと逃げるべき)

 というわけで、ざっと普通の漫画と広告漫画の違いを書いたけど、もちろん、これで全部じゃない。アレもコレも、違うことだらけ。
 そういうアレコレにいちいち腹を立てていたら、広告漫画の仕事はできない。
 とにかく広告漫画を描くというのは、阪神ファンの中にたった一人で乗り込んでいって「ガンバレ巨人!」と叫ぶくらいにアウェーなんだ。そういう場所に、何の準備も対策もせずに乗り込んだらボコボコにされるのがオチだよね。
 なので、もしも広告漫画の仕事をするのなら、その世界と、そこにいる人たちのことをよく知って対策を講じておくことだ。
 まぁ、この世界に25年以上いるボクでさえ、未だに毎回「おいおい、ナニ言ってんのよ!?」ってツッコまずにいられない日々が続いてるんだから、何をどう対策しようが必ず想定外のことが起こるとは思う。
 でも不意打ちのパンチを食らうより、食らうのを覚悟してたほうがダメージ少ないとか、その程度の効果はあると思うんだ。そして場数を踏むと、ジャブまではかわせなくても、大ダメージになるパンチだけは食らわないようになったりするのよ。


※追記
 後になってから思ったのだけど、よく考えてみると広告主を「お客様」と考えること自体が、普通はあんまりないのかもしれない。
 ボクにとってはアタリマエすぎて、そういうふうに思わなかったんだけど、普通漫画家って、出版社や編集者をお客だとは思ってないよねぇ。お客は読者であって編集者じゃないもんねぇ。
 けど広告業では、お客と言ったら広告主のことだ。
 漫画を描くときも、広告デザインするときも、常にエンドユーザー(その漫画や広告を見る人)のことを考えているけれど、それでも「客」は広告主。広告主の満足のために全力を尽くすのが仕事なのよね。
 この広告主=お客様っていう意識が抜け落ちてると、この仕事は上手くいかない気がする。アタマでは誰でもわかっているだろうけど「お客」と接した経験が少ない人は、ついつい依頼者を編集者のように感じてしまうのかもしれない。
 ただ、お客様=神様ではない。
 発注してくれたことには心から感謝するし、そのお客のために頑張ろうとも思うけれど、絶対服従ということじゃない。あくまでもギブアンドテイク。対等な関係だとも思っている。そもそも、お客に盲従しちゃったらプロとしての仕事を果たせない。
 お客は素人で、ボクたちはプロ。だからこそ発注される。
 そのプロの部分では、毅然としてお客を導いてあげなきゃならないのだ。描く、作るだけでなく、そうした部分も仕事の一部……いや、むしろソッチのほうが重要かもしれない。広告業とは、そういう仕事なのだから。

 本書は、元々個別に書き溜めたコラムをまとめたものなので、漫画を発注してくれる人たちのことを、時に依頼者、時に広告主、時にお客と書いたりしている。
 今回まとめるにあたって表現を統一しようと思ったりしたんだけど、そこでの主旨などを考えると、統一しないほうがピンと来るんじゃないかと思って、そのままにしてある。そもそも代理店などが依頼者ってことも多いから、依頼者と広告主がいつもイコールってモンじゃないし、代理店経由での依頼の場合は、代理店もお客(広告主とは立場が違うお客)なので、お客の定義がややこしくなるのよ。

 とにかくボクらは「お客」を満足させつつ「読者(お客のお客)」も満足させなきゃならない。実は「読者(お客のお客)」さえ満足させられれば、お客のほうは勝手に満足してもらえるんだけど、それは結果論であって、作っているときには、お客をコントロールできてないと余計な横ヤリが多くなって、お客のお客を満足させられる結果に届かなくなるから、やっぱりまずは、お客をしっかり制御することが大事ってことになるんだよね。



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