●[インターネットのココロ]
個人情報保護法の施行以来、命に関わるような状況でさえ、個人名を明かしてくれない、といったトラブルが頻発しているようです。
31.自分のキモチはどこ行った?
とあるお店で「警察署の指示により未成年者への酒類の販売はお断りさせていただいております」の張り紙が。さらに、私たちがよく使う公共施設では「健康増進法の施行により館内は全て禁煙とさせていただきます」との掲示。この手の張り紙はどなたも見慣れているでしょうし、別におかしな文面ではないと思う方が多いでしょう。でも、私は「明らかにおかしい」と思うのです。
いちいち「警察署の指示」だの「健康増進法」だのを引きあいに出しているのが気に食わない。未成年にアルコールやタバコを売らないのは、警察がどうであれアタリマエのこと。禁煙だって、法律うんぬんじゃなくて、「来館者の健康のために、自分たちの判断で禁煙にした」と、堂々と言えばいいのに「売らないのは警察のせい」「禁煙も法律のせい」と言う。正しいと信じているのであれば、警察や法律を持ち出さなくてもいいはずです。
いつの頃からか、世の人々は自分のコトバで話さず、いつも逃げ道を用意するようになりました。言葉だけでなく、行動の全てに「責任を負いたくない」という、後ろ向きの気持ちが見えています。昨今の個人情報保護法に関わる様々なトラブルや相次ぐ企業の不祥事は、こうした世相が反映しているように思えます。
ある在宅介護支援センターのスタッフが「独り暮らしのお年寄りを訪ねたが応答がない」ため、かかりつけの病院に入院・通院の有無を問い合わせたそうですが、「個人情報に関わることは教えられない」と断られたそうです。先ごろの鹿児島県・佐多岬沖での高速船事故でも、海上保安部が負傷者の氏名や搬送先を調べるために、十数か所の病院に問い合わせましたが、大半は「個人情報」を理由に断られ、捜査が遅れてしまったそうです。
恐らく、情報の開示を拒否した当人も、心の中では「常識的に考えれば本当は教えるべきだよな」と分かっていたのではないかと思います。ですが「でも、教えちゃって、あとで難癖つけられるのはイヤだし、責任なんか負わされたくない」というコトで教えないことにしたのではないでしょうか?。
厄介なことを避けたい気持ちは分かります。でも、社会人として世の中と関わっていくということは、必ず何かの責任は負わなきゃなりません。もしも、お年寄りが身動きできずに倒れていたら?捜査が出来ずに救うべき人命が失われてしまったら?。それでも責任から逃げ切れるのでしょうか。いや、法的な責任は免れたとしても、それで気持ち良く生きていけるのでしょうか。法律がどうこういう前に、自分自身の正義や倫理観はどこに行ってしまったのでしょう。
そもそも、守るべきは「個人情報」ではなく「個人」そのもの。情報を守って個人は守らず、では本末転倒です。
法は守るべきだと思いますが、自らの行動や発言は「警察が言うから」「法律が出来たから」ではなく、自らの意志と倫理観で御してほしいものです。