●[インターネットのココロ]
前回の「ネット私的利用」を、もうちょっと深く掘り下げていくと、インターネットの本質が見えてきます。
33.インターネットには公私がない
いつでも、どこでも。これがインターネットで、自宅からでも会社からでも、同じものを同じように見たり読んだり出来ます。最近ではパソコンのOS(基本設定)でさえ、インターネット上に置いておくようなことも実現されつつあります。つまり自分のパソコンの状態をインターネット上に保存しておくわけで、そうなると世界中のどこからでも、自分のパソコンを呼び出せることになります。つまり、知り合いの家でパソコンを借りてインターネットにつなぎ、自分の設定を呼び出せば、自分のパソコンになってしまう、というわけです。
こうしたネット世界では、会社で保存した書類も、家族のスナップも、メールの記録も、公私を問わず全部そこにあることになります。自分に関係する全てがあるということは、公私混同ということ。すなわち、インターネットは公私を区別しないんです。
もちろん、現在はまだセキュリティの問題などがあるため、ここまで完全なパーソナル環境ではありませんが、オンライン上のメールソフトなどは普及していますし、一部はすでに実現されているわけで、ゆくゆくは完全に自分の全てがオンラインネットワークに保存できることを目指して進化を続けているわけです。
さて、そういうネットの方向性を考慮した上で「ネット私的利用」という問題を考え直してみると、そもそも私的利用を問題にすること自体がナンセンス、ということになってしまいます。なにせ、公私混同で使うことが前提のモノなんですから。そういうモノをビジネスに使う以上、公私混同になってしまうリスクも含めて導入を考えるべきだと思うのです。厳しくしようが、無理なものは無理。私的利用は起こるべくして起こる、と心得ておくほうが自然だと思えます。
そもそも、現在の世の中では、公人と私人の区別は非常に曖昧です。代表格が携帯電話とインターネットですね。電話もメールも、つながる先は「会社や家」ではなく「個人」。特に携帯電話は、勤務中だろうが休日だろうが深夜だろうが、お構いなくかかってきますし、気軽にかけてしまう人が多いでしょう。いちいち総務やら受付やらを通さないということは、これまた個人同士の話であり、例え仕事の話だとしても公私の区別はされていないようなものです。
「交換手を通じて」から、直接「相手の家」へ。さらに直接「特定の個人」へ。コミュニケーションの発達とともに、組織や所属よりパーソナルが表面に出てきます。
個人の時代、それは公私混同の時代ということです。
どのように「公」と「私」を分けるのかは難しいですが、それも個人で決めるしかないのかもしれません。パーソナル管理がしっかりしていることが、これからの時代で重視される能力かもしれませんね。