●[インターネットのココロ]
世の中便利なほうがいい。そりゃそうですね。でも、便利だから使っちゃえ、与えちゃえ、っていうのは本当に正しいのでしょうか?
35.「楽」との距離感
昔、パソコンがデザイン業界で普及し始めた頃、あるデザイン会社では、デザインのためにパソコンを使うことを禁止していました。パソコンはあまりに簡単にカッコイイものを作れてしまう。そのせいで本当に考え抜かないで「これでいいや」になってしまうからです。また、パソコンばかりを当てにして、当たり前の工夫さえしなく、いや、できなくなってしまうものです。
私が新人デザイナーにポスターのデザイン案を手渡したときのこと。「この部分に、こういう枝ぶりの木を配置するから用意しておいて」と指示をしましたが、できあがってきたモノが全然違うのです。「枝ぶりが違うでしょ」と注意すると、インターネットと写真素材集で探したけれど同じものはないから、と言う。思わず窓を開けて遠くに見える森を指さしました。「アレは何?」。にも関わらず、この新人さんはポカンとした顔で「森ですけど?」。あきれてコトバが出なくなってしまいました。
外に行けば、スケッチ通りの写真はいくらでも撮れるのに、そんな当たり前のことが思いつかない。発想がパソコンに縛られてしまっている。
こうした「すぐに楽に走る」傾向は世の中全体にも言えることでしょう。
何時でもどこでも何でも手に入るということは、準備や計画しなくてもいい、ということ。出来上がったものが買え、面倒なことはやってもらえるということは、工夫しないということ。観たい部分だけを観れるから我慢しなくなる。親や先輩や会社が築いたものを利用できるから努力しなくなる。
しかも今や、遊びですら他力本願。子供の頃にプラモデルを作った人も多いでしょうが、最近はキットを作ることさえしない。完成品にしたものが売っているからです。ゲームもパチンコもすぐに攻略本が出て、誰かの指図通りに遊んでいます。キャンプ場でさえ、バーベキューセットがあって上げ膳据膳のご時世。
そういう環境で暮らしてきた人たちは、先の新人さんと同じように、その環境の内側でしか思考できなくなってしまうのではないでしょうか。
無計画で工夫や我慢が出来ず、何かに挑むこともない。すぐに頼る。簡単にあきらめる。最近の子供たちがそういう風に批判されたりしますが、世の中がそういうふうに育てているとも考えられるわけです。

便利なものは利用したい。それは分かります。私も深夜のコンビニを大いに利用しているし、休日にもお金が引き出せて助かったこともあります。でも、何でもかんでも楽なほうに行こうとするのではなく、ちゃんと自分なりの距離感を持った上で、利用すべきです。特に「楽」との距離感が確立できていない若年者には、年長者が一定の距離を作ってあげるべきです。
不便だからこそ工夫する。満たされていないから努力する。安易に便利を追いかけていると、自立心が育たなくなります。人生には必ず自分の力で勝負しなきゃならないときがあるものです。そのときのためにも、楽とは一定の距離を保つべきです。