●[インターネットのココロ]
このところ、子供の悲しい事件が後を絶ちません。少し、インターネットから離れて、子供のことについて書いてみたいと思います。
37.学校はノルマじゃない
いじめという理不尽に出会い、最終的に死という道を選んでしまった子供たち。これから楽しい人生が待っていたはずなのに。
大人にとって些細なことでも、子供にとっては大問題ということがあります。例えば小学6年生が授業中におしっこを漏らしてしまったとしても、大人は笑い飛ばすだけでしょう。でも、子供時代に戻って考えてみてください。二度と学校に行けなくなるくらいに落ち込むのではないでしょうか。これは社会人になっても同じことで、失敗したり問題に直面している当事者は、周囲が思う以上に必死なものです。
そういうときは、一時的にでも、その場所から離れて冷静になる時間を持つのが一番ですが、子供は毎日学校に行くべきだ、と思い込んでいる親御さんも多いようです。
確かにそうなのですが、無理してまで行かなければならないほどのものなのでしょうか?。
実は、私は子供に「ちゃんと学校に行きなさい」と言ったことがありません。もちろん、行ってもらいたいのは私も同じですが、子どもにしてみれば行かなきゃならないわけじゃないからです。
中学生までは憲法で定められた義務教育ですが、義務とは「子どもに教育を受けさせる義務」であって、つまり義務があるのは親のほうです。子どもについては「教育を受ける権利」と書かれています。子どもは権利で教育を受けているのであって、ノルマで学校に行かされているわけじゃないのです。
また、学校は勉強だけをするところではありません。私は茨城県に住んでいますが、茨城県指導要領には、どこにも子どもの成績をあげる、といった記述はありません。「生きる力をつける」がテーマになっていて、個性を伸ばす教育を推進しています。恐らく他県でも似たようなものでしょう。
生きる力。素晴らしいテーマです。が、それがタテマエになってしまっていてはいけません。子供は未熟で当たり前。いじめっ子が将来必ず悪人になるわけではありません。いじめたり、いじめられたりは、未熟ゆえの、ちょっとした躓き。ただ、その「ちょっと」が当人たちにはちょっとじゃないわけです。
だから、休んでみる、距離を作ってみるのも正しいことだと思います。長い人生の中で、しかも子ども時代に数年足踏みしたって、何のリスクも背負いません。
ちょっと嫌なことがあった程度で登校拒否、というのでは「生きる力」がつかないとは思いますが、子供の立場で考えたとき、それが「ちょっと」なのかどうか。そして、子供にとって「ちょっと」じゃないときは、大人が支え導いてあげたいですね。