●[インターネットのココロ]
問題を起こす子は悪い子なのでしょうか。私自身の体験から思い起こしてみると、そうではないように思います。
38.子供たちのテロリズム
夏休みなどになると、暴走族や深夜の徘徊などが目立つようになります。正直に言うと、私自身、どちらも身に覚えがあり、暴走族に入ったことはありませんが、そういう仲間はいましたし、深夜にこっそり家を抜け出して町をぶらついたこともありました。
私は中学時代から「漫画家になる」という夢があったおかげで、決定的な問題児にまではならずに済みましたが、それでも煙草を吸ったり、夜中に徘徊したり、ケンカしたりしました。実は停学処分を受けたこともあります。
なぜそんなことをするのか、と問われても、当時の私には答えられなかったでしょう。楽しいわけでもないし、用事があったわけでもなかったからです。
「ただ、何となく」。
思春期にはそんなことがありますが、今にして思えば、単調で変化のない毎日に飽きていたように思います。小学生の頃はともかく、中学生以上になると、今自分がやっていること、学校で学んでいることが何になるのか、といった疑問を感じるようになります。将来のために勉強しなさいと何年も言われ続けてきたが、それが何になるのか、と。
目に見えて、手ごたえのある小さな目標の積み重ねでないと、人は努力を続けられないものです。会社で社員を育てるときは、会社全体の大きなビジョンや目標を掲げた上で、一人ひとりの社員が短期的に結果を実感できる「目先のゴール」も用意してあげないと、決して育たない。10年後に上場しよう!という大目標の他に、冬のボーナスをアップさせよう、といった短期的な目標も必要なのですが、漫然と学校に通い続けるだけでは、自分は何かをしている、今日これだけの事が出来て、明日もこれをやるんだ、という「目標」も「やりがい」を見出せなくなってくるわけです。
そんな中で、授業についていけなくなったりすると、もう耐えきれなくなる。それが暴走行為などの非行や登校拒否などにつながっていくわけです。少なくとも、私の時はそうでした。
学校では、反社会的行為はいけない、と指導していますが、そんなことは分かっているのです。悪いこと良いことの区別がつかないわけではないんだから、ダメと言っても無駄。大人の言うことを聞いていたら、いつまでたっても充実できない。そんな想いがあるから逆らうのですから、かえって逆効果です。ダメと言われれば、ますますやりたくなるものです。子供たちは「ただ面白いから無軌道にやってんだ」といった言葉しか吐きませんが、ちゃんと検証すれば、問題行動をする子供たちには、違反に至る心のメカニズムがあり、彼らなりの論理だってあるものです。
子供たちがやっていることは大人のルールに対するテロなのではないでしょうか。彼らの中で整理されていないだけで、政治的な理屈さえあるように思えます。
暴走族でろくに学校に行かないような子でも、仕事を与え、責任を持たせ、正しい評価をしてやると、大人以上に一生懸命に働くものです。押さえつけるのではなく、子供たちの気持ちを受け止めて受け入れる。大人には、そういった度量が必要だと思います。