●[インターネットのココロ〜ボクラのクウキ編]
最近は「空気の読めない奴」を「KY」と略するそうだけど、ビジネスでもプライベートでも、これはとても大切なこと。
47.ボクラのクウキ
ボクはマンガやホームページなど広告制作の仕事しているんだけど、依頼主はボクを儲けさせるために仕事を発注してくれるわけじゃない。チラシやポスターやホームページが必要だからというのも、間違ってないけど正解でもない。依頼主が必要としているのは、お客であり売上だ。広告を作るのは、そのための手段に過ぎないわけで、目的じゃないんだよね。

となると、ボクらもただ作ればいいってモノじゃない。正しいこと、いいこと、便利なことでも、読者や消費者の空気とズレていると伝わないし、受け入れられない。商品やサービスを受け入れてもらえないということは、売れないということで、それでは例え広告自体が完成したとしても、依頼主の期待に応えたとは言えない。だから、ボクは仕事で一番大事なのは「空気を読むこと」だと思っている。
さて、この「空気を読む」というのは、つまり周囲や世間の感覚・感情を読むということで、ようするに想像力のハナシだ。こう発言したら人はどう思うかな、どんな言い方をしたら分かってもらえるかな、といったこと。誰もが日常的に対処していることなのだが、これが意外に難しい。

広告企画の現場で、ボクはこの問題にしょっちゅう直面していて、その都度スッタンバッタンしている。例えば「言いたいこと」を言ってしまう依頼主。自分の広告なんだから自分の言いたいことを言うゾ、というわけだが、サービスのキホンは「相手の喜ぶことをすること」。つまり、言いたいことを言うのではなく、お客が聞きたいことを言うべきなのだ。人間の記憶というのは不思議なもので、聞いたこと見たことを覚えるわけではない。聞きたかったこと、見たかったことしかアタマに入らないように出来ている。せっかくの広告なのに、目にも耳にも残らない、ときには時には反感を買ったりするなんてバカバカしいことだ。言いたいことがあるのなら、そういう話ができる空気を作らなきゃ。

阿部前首相が辞意に追い込まれた件などは、それに失敗したからだろう。「美しい国論」など、それ自体が間違っているわけじゃないけれど、国民は今は別なことを聞きたい、言ってほしいと思っている。広告なら無視されるだけだが、一国の首相が言うこととなると、どうしても耳を傾けざるを得ない。でも聞きたい発言じゃないから鬱陶しくて、だから支持率が下がっていく。結局はご存知の通り、何もかも放り出しての辞任。どんな大舞台を用意しても聞いてくれるとは限らないってコトなのだ。

もう1つ困るのが「自分だけのクウキ」で語ってしまうヒト。この極端な例が「亀田一家」。あの暴言の数々も、彼らの「付き合いの内側」では通用したのだろう。一時は威勢がいいとマスコミにもウケていたから「オレのジョーシキは世間のジョーシキ」と、ますます自信もつけていたと思う。けど、世間は彼らの言動を見聞きするたびに不快感を募らせていた。つまり世間とはクウキがズレていたのだけど、本人たちは気づかない。そこへ反則など「叩く理由」が出てくると、反撃のチャンスを待ちわびていた世間が牙をむく。少し古いけれど、ホリエモンなども同じような目に遭ったよね。

ジョーシキとは言うものの、実は個人ごとに少しづつ違う。まして世代や生まれ育った国が違うとなれば、自分のジョーシキなんか通用しない。空気を読んで、相手のジョーシキを考慮すべきなのだ。特に広告の場合、消費者の反発は何としても避けたいわけで、思い込みは恐ろしい結果を呼びかねない。
簡単に考えを切り替えられない「ジョーシキ」。自分だけの考えは、ある意味では信念にも通じていて、あえて空気を読まないほうがいいこともある。でも、相手の期待に応えるにせよ拒絶するにせよ、相手が何を求めているかを理解する想像力は必要なのだ。
ボクラの周囲にある様々なクウキ。読めているようで読めていないクウキ。このシリーズでは、そんなコトを気にしてやっていこうと思っている。