●[大人はもっと楽しく生きろ!]
01.大人はもっと楽しく生きよう
最近、心から笑ったことは?。体面も肩書きも忘れてハメを外したことは?。夢中になれることは?。仕事は楽しい?。
近ごろの大人は元気がない。仕事が大変、家計が苦しい、人間関係も辛い、そんなことばかり言っている。そんな人たちもみんな学校へ通い勉強して大人になったのに、「将来のために、今は一生懸命勉強しろよ」と子どもに説く。
ぜんぜん説得力なし、である。
見たことも聞いたこともない10年20年先の話なんか知ったことか。だいたい、大人たちだって、ちっとも幸せそうじゃない。家族のためとか会社のためとか言ってコキ使われ、居酒屋で愚痴をこぼすくらいじゃないか。我慢して努力しても、そんな未来しかないんだったら、誰が大人に従うものか。
子どもは親の鏡だ、と言われるが、親も子どもの鏡だ。しかも未来を映す鏡。ちょっと前に「オヤジ狩り」が問題になったが、誰だって自分の嫌な姿を見せつけられればムカツクものだ。あれはオヤジを攻撃しているのではなく、将来の自分を攻撃しているのだ。
私は自分の仕事場に娘を連れていくことがよくある。家の都合でそうしている部分もあるが、意図的にも連れていき、仕事中の姿を見せるようにしている。これは部下や研修生にも同じで、より上位の仕事の醍醐味を見せて、臨場感や緊迫感も実感させて、やる気や夢をかき立てるのである。

休日、娘が聞いてきた。
「おとうさん、いつも帰りが遅いね」
「ごめんね、でも仕事が楽しくって止まらないんだ」
「わたしと遊ぶのより?」
「う〜ん、同じくらいかな」
「学校より?」
「学校よりず〜〜〜っと楽しい!大きくなってお仕事をするのを楽しみにしててね」
私は辛いことを家族のために我慢することもできるが、それを続ける気はまったくない。人生の過半数を費やす時間を我慢で生きることなんか無理。楽しいからやっている。
大人は子どものためにも、楽しく生きるべきだ。自分の喜びを削ってでも、家族サービスに費やしている人も多いだろうが、ノルマで作る想い出に本当に価値があるのか?。
「おとうさんばっかりでズルイ!」
「悔しかったら早く大きくなりな」
大人は楽しい。これが我が家のスタンスである。