●[大人はもっと楽しく生きろ!]
04.子どものテロ
夏休みになると、暴走族や深夜の徘徊などが目立つようになる。正直に言うと、私自身、どちらも身に覚えがある。暴走族に入ったことはないが、そういう仲間はいたし、一緒に暴走行為をしたこともあった。深夜にこっそり家を抜け出して町をぶらついたこともあった。
私は中学時代から「漫画家になる」という夢があったおかげで、決定的な問題児にまではならずに済んだようだが、それでも煙草を吸って、夜中に徘徊し、女でもめてケンカした。実は停学処分を受けたこともある。
なぜそんなことをするのか、と問われても、当時の私には答えられなかっただろう。楽しいわけでもないし、用事があったわけでもなかったように思う。
「ただ、何となく」。
思春期にはそんなことがあるが、今にして思えば、単調で変化のない毎日に飽きていたんだと思う。将来のために勉強しなさいと10年以上も言われ続けて、でも、それが何になるのかまったく実感できない。自分は何かをしている、今日これだけの事が出来て、明日もこれをやるんだ、という「目標」も「やりがい」もない。
学校では、反社会的行為はいけない、と指導しているが、そんなことは分かっているのだ。悪いこと良いことの区別がつかないわけではないんだから、ダメと言っても無駄である。大人の言うことを聞いていたら、いつまでたってもオレは充実できない。そんな想いがあるから逆らうんだから、かえって逆効果。ダメと言われりゃますますやりたくなる。そもそも禁止したら皆が言うことを聞くんだったら、世の中に犯罪なんかないだろう。
子供たちは「ただ面白いから無軌道にやってんだ」といった言葉しか吐かないが、ちゃんと検証すれば、違反する子供たちには、違反に至る心のメカニズムがあり、彼らなりの論理だってある。子供たちがやっていることは大人のルールに対するテロだ。彼らの中で整理されていないだけで、政治的な理屈だってある。
暴走族でろくに学校に行かないような子でも、仕事を与え、責任を持たせ、正しい評価をしてやると、大人以上に一生懸命に働くものだ。押さえつけるのではなく、子供たちの気持ちを受け止めて受け入れる。大人には、そういった度量が必要なのだ。

会社で社員を育てるときは、会社全体の大きなビジョンや目標を掲げた上で、一人ひとりの社員が短期的に結果を実感できる「目先のゴール」も用意してあげないと、決して育たない。10年後に上場しよう!という大目標の他に、冬のボーナスを10%アップさせよう!といった短期的で実現可能な目標も必要なのだ。
目に見えて手ごたえのある小さな目標の積み重ねでないと、人は努力を続けられないものだ。