●[広告漫画家のつぶやき]
07.ボクは金持ちになりたいんじゃなくて、マンガの仕事がしたかった
ボクがデビューしたのは20歳のとき(ああっ、自覚がないまま四半世紀が過ぎている!)で、それ以前からつきあっているカノジョ(今のカミサン)がいました。

ボクはカノジョと結婚したいと思っていて、かなり具体的に将来のビジョンを思い描いていたものです。
結婚するつもりだけど、25〜26歳くらいまでは、お互いを本当に分かりあうための時間を持とう。で、結婚。そこから3〜4年は夫婦としての時間を持って、30歳くらいで子供を作ろう。そして家族として、楽しい人生を積み重ねていこう。
19歳のボクは、そんなコトを考えていたわけです。
(色々あったし、これからも色々あるだろうけど、これまでは、実際にその通りにボクは歩んでこれています)

ボクは、自分がヒモみたいにカミサンに養ってもらうなんてのは、絶対に嫌でした。25〜26歳で結婚するには、その時点までにカノジョに恥じない程度の安定収入を確保しておかなければならないと思っていました。
だから、当時のボクの目標は「漫画家としてソレを実現する」だったわけです。

そして20歳で本当にデビューできた。
有頂天でしたね。「また1つ野望に近付いた!」って感じで。
このときの嬉しさは、今でも忘れられません。
一晩、泣いてましたね。
嬉しさで、これほど泣けるのか、と、我ながら驚きもしました。

でも、そんなイイ話で進まないのが「まんが道」。
デビューしたからって、そのまま生活できるわけじゃない。とりあえず賞は取ったというだけで、次の仕事の予定なんかないわけですから。プロテストには受かったけれど、2軍どころか3軍にも入ってないようなモノです。
新人賞の賞金なんか、あっという間になくなっちゃいますしね。
(引っ越しして、当時発売したばかりのファミコンを買ったらなくなった)

で、就職しました。
専門学校時代の先生のツテで、築地の小さな広告会社を紹介してもらったのです。
あくまでも漫画家が本職だと思っているけれど、すぐに連載といった状態ではありませんでしたから、まだまだ先は長いぞ、と。なら、バイトなんかじゃなくて、正社員のほうがいいと思ったからです。

でも、バイトだろうが社員だろうが、やるべきことはやらなきゃならない。二足のわらじって、どっちもダメになっちゃうんですよね。マンガが本職だと思ってるから、会社の仕事には身が入らない。遅刻はするわ、仕事は覚えられないわ、叱られっぱなし。一方、慣れないサラリーマン生活に振り回されて、マンガも思うようには描けない。
でも、どっちを取るんだってコトになれば、当然、マンガが大事。
結局、1年で会社を辞めることになりました。
ボクも限界だったし、会社のほうも役立たずには辞めてもらいたかったでしょうから、当然の結果ですね。

その頃には、デビューした編集部とは疎遠になってしまっていて、今さらネームを持っていくのも気が引ける状態でした。デビューした新人だからって、編集部から電話がかかってきたりすることは、ほとんどなかったですしね。
忘れられちゃったりするのは嫌だったから、できるだけネームやキャラクタースケッチ等を持ち込んでいはいたのですが、仕事の合間に「編集部に顔を出すためだけに描いたもの」なんかを持ち込んだところで、いい出来になってるわけもなく、むしろマイナス印象を与えてしまったという思いもありました。
何か言われたわけではないけれど、自分の甘えを自覚すればするほど、気まずく感じちゃったわけです(バリバリやってる新人もいるわけですから)。

そこへ同人誌をやっている友人が、知り合いの雑誌編集者を通じて、アシスタントの仕事を紹介してくれたのです。その編集者の所属する出版社ではマンガは出していなかったのですが、今度いきなり週刊マンガ誌を創刊することになったそうで、そこで描くことになった作家がアシスタントを探していたわけです。

渡りに船とばかりに、この話に飛びつきました。
いつまでも、つまらないバイトで時間を無駄にしているわけにはいかないし、何よりボクは絵が下手だったのです。
デビューの時、その評価は、キャラクター、画力、オリジナリティ、演出力などのそれぞれについて、通知表のような5段階評価で発表されるのですが、ボクは、オリジナリティ=4、演出力=5だったものの、画力は「3」で、これは「絵はダメだよ」というのに近い。しかも「絵が雑だから全部描き直して」と言われて描いたものが「3」だったのです。

絵を学び直そうという思いもあって、早速アシスタントになりました。
月給は8万円。生活していくためにはギリギリの金額。
先生曰く「多く払っちゃうと、プロになろうっていう気がなくなる人もいるしね」と。
今考えると、多く払えるわけもないんですけど、先生のコトバは単なる言い訳じゃなくて本音でもあったでしょう。
少なくとも、当時のボクには不満はありませんでした。
プロになって売れてしまえば、みみっちいン万円なんかどうでもいいことだし、自分より上手い人たちの中で揉まれることのほうが大事だったんです。

アシスタントを始めると共に、新たな投稿作品を描きはじめました。
アシで覚えたことを反映させながら3カ月で描いたその作品を、デビューした出版社ではなく、全く別の出版社へ持ち込み、そのまま新人賞をいただきました。

2度、応募して、どちらも賞を取れた。
オレはやれる!そう思いました。
(今にして思えば、アマイよなぁ)

ちなみに、この賞の通知があった頃には、アシスタントも辞めていました。
いや、辞めたかったわけじゃなく、連載が終わっちゃったんです。
いや、雑誌がなくなっちゃったんです。
創刊して、わずか10号で休刊。そのまま消滅。
20年ほど前に、そういう週刊マンガ雑誌があったことを覚えている方もいるかも、ですね(ああ、アレのことか、と)。

とにかく、そういうわけで、また、アルバイトをしたり、他の先生の援軍アシをしたりしながら、自分のマンガを描いていくことになりました。描いた作品は、本誌に読み切りとして掲載してもらえたので、わずかづつですが原稿料も入ります。
そうして1年程過ぎて、やっと本誌連載にこぎつけます。

はじめてもらったファンレターは、今でも宝物。小学2年生くらいの子で、全然似てないボクのキャラクターの似顔絵が描いてあってね。「うるのせんせい、がんばってください」って書いてあって。
その下手くそな絵が愛おしくて。
泣きましたね、このときも。もう、一生、この子のために頑張ろうって思った。


でも、このときも、イイ話で終われないのが「まんが道」なんですよねぇ。
老舗のマンガ雑誌だったのに、連載開始から8号で休刊になってしまうんです。
当然、単行本なんか出ない・・・。
(社内に「初志貫徹!」とか「断固反対!」とか、やたらと貼り出してあって、なんかヘンだとは思ってたんだけどさ・・)

ここで再び、先が見えなくなっちゃったわけです。
むろん、一度は連載までいったわけですからチャンスはあった。担当編集者も「新雑誌の創刊を予定しているから、ネームとか持ってきてみてよ」と言ってくれていました。作品も、比較的自由に描かせてくれたし、イイ人だったと思います。

でも、19歳でカノジョとの未来図を思い描いてから、早くも4年が過ぎ、目標に近付いたと思う度に遠ざかる。
漫画家は、売れなきゃ食えない。あと2〜3年以内に、本当に「人気漫画家」になってるのかな。少しづつ、近付いているのは間違いないと思いつつも、あと2年で届くかどうかは分からない。いつかは届く、根拠はないけど、それは信じてる。でも、あと2年じゃないとダメなんだ。人間の心ってのはうつろいやすい。どんなにボクの成功を信じてくれていても、いつまでも待たせられるわけじゃない。

ここで、ボクは漫画家になることより、続けていくことのほうが大変だってことに、やっと気付いたわけです。
連載を持った人気漫画家になりたい、という気持ちはあるものの、それだけに全てを賭けるのって「ギャンブル」だよな、と。
そして考えました。

漫画家って、こんなギャンブルな方法でしか、なれないのかな。
マンガが好きでマンガの仕事がしたいとは思うけれど、別に億万長者になりたいってわけじゃないんだよね。そりゃ、多少は裕福なほうがいいけど、高級車にプールに別荘っていうほどのお金持ちじゃなくていいんだけど?
ただ、マンガの仕事がしたいだけなのに。


夕暮れの水道橋。
後楽園の黄色いビルを眺めながら、そんなことを考えました。

そして、数日後、ボクは、とある広告代理店の求人に応募し、面接を受けました。
たった1年間とはいえ、広告の仕事をしていたからなんですが、広告の業界でも、漫画家のスキルは活かせるんじゃないかと思ったんです。

デザイナーの募集でしたが、実績も経験もありません。
持っていったのは、履歴書と漫画家としての作品のみ。

このとき思っていたのは「マンガ形式の企画広告ってアリなんじゃないか?」という、漠然とした期待だけでした。漫画家を諦めたんじゃなくて、サラリーをもらいながらマンガを続ける方法として、そういう手はないかな、とアマい期待を持っていたわけです。
結果的に意外といいトコロを突いていたことになるのですが、それはボクが思っていたような、直接的にマンガが活かせるってコトじゃなく、漫画家の経験や考え方が、広告業でも有益だったと言うことなんですが。
(直接的にマンガを活かせるようになるのは、もっと後のこと)

とにかくオレは使えるはずだ、と面接に行きました。
商業デザインのことは、あまり知らないのだけど、そんなモンは覚えりゃいいだけ。1年、それもいい加減だったとはいえ、広告会社に勤めたこともあるし、大体はわかる。カノジョはデザイナーやってるし、オレにだってできるさ。
ていうか、マンガに比べれば、広告なんか出来てトーゼンだよ。

そんな気持ちでしたから、キャリアゼロでも全然平気で、悪びれることもなく、面接に臨みました。
今のボクから見れば、ブン殴ってやりたいですね。
広告をナメてんじゃね〜よ!って。

余談ですが、ボクは、この後も、今日まで何度も「もう破産?」「路頭に迷う!」みたいな状況になるんですけど、いつも根拠のない自信だけはあって、で、実際、何とかなっちゃうんですよ。楽天的っていうんじゃないんですけど、「オレはやればできる子だから、やる!」っていう思い込みかな。
でも「やればできる」と思うだけなのと「ホントにやる」っていうのでは、まるで違うとは思います。それも「できるかどうか」じゃなくて、「やる」か「やらないか」なんです。
このときも「やった」のが良かったのでしょうね。

「ほぉ、漫画家さんですか?」
・・・ええ、一応。
「デザインの専門学校を出てらっしゃるんですね?」
・・・ずっとサボってましたけど。
「広告会社に勤務した経験もあるんですね?」
・・・役立たずでしたけど。
「なんでウチに来たんですか?」
・・・広告の業界でも、漫画家のスキルは活かせるんじゃないかと思って。あ、でも、一方でプロ漫画家として成功したいとは今でも思ってますから、この業界に骨を埋めるとか約束はできないんですけど・・・
(我ながら、そこまでショージキに言わなくても、でしたね)

「で、あなた、ギララ知ってます?
・・・え?
ギララです」
・・・も、もしかして、松竹唯一の怪獣映画で、ギララニウムに弱くて、寅さんとも共演した、あの宇宙怪獣?(落書きしてみせた)
「知ってるじゃん、採用!」
・・・マジ!?

・・・細かいディティールは端折ってますけど、ホントに、こういう面接だったんですよ。
ギララの話もホント。
この面接をしてくれたのはプランナーの人で、彼のアシスタントをしている女の子の髪型が部分的にピンと立っていて、ギララなんですね。それで、からかうんだけど、社内の誰もギララを知らなくて・・・だったらしい。
ギララだけじゃなくて色々な話をしたんだけど、彼はボクの雑学の知識と、それに応じるアタマの回転を見ていたんだと思います。
(マイナーだけど、ギララは忘れられない怪獣だよね)

とにかく、こうやって、ボクは広告の世界に来たんです。
入社1カ月後には、まだ首相ではなかった小淵さんが、テレビで「平成」という文字を掲げている姿が。そんな頃のことです。

ナメて入った広告業界でしたが、未経験のボクがすぐにマンガを広告に活かすことなんかできるはずもなく、最初の数カ月はバカみたいに流れて行きます。先輩の主任デザイナーの足を引っ張るか、どうでもいいような雑務をやってるだけ。当然、つまんないわけです。だから、自宅では、あいかわらずマンガを描いてました。
「広告業界は、あくまでも保険。オレ才能はあるはずなんだから、マンガで成功できるはず」って。
前に一度、それで失敗してるのにねぇ。
アホでしたね。

それが一変するのは、4月。主任デザイナーさんが急に辞めちゃったんです。
慌てて求人するも、イイ人はすぐには見つからない。
できないとか、分からないとか、新人だからとか、言ってるバアイじゃない。
新兵としての訓練もできていないヤツが、
いきなり!
指揮官もいないまま!
銃弾が飛び交う最前線に送り込まれた!
ようなものです。

とにかくやるしかない。

でも、こういうとき、ボクは燃えちゃうタイプなんです。
やぁああああってやるぜっ!!!」って感じで。
これも今思えば、無責任な炎なんですけどね。

でも、とにかくやるしかないからやり続けて、しかも生き延びちゃったんです。
面接してくれたノリのいいプランナーが直属の上司みたいになって、一緒に作ることが多かった。違う部隊の「士官ではないけど士官並みの能力がある兵士」と合流した感じかな。
このヒト、ノリがいい上に雑学もスゴイから、パロディあり、ギャグありといった、企画と言うより「企む」という感じのアイディアがドンドン回ってくる。ボクが漫画家だって分かっているから、それを活かすプランをぶつけてくれる。彼も楽しんでいたでしょうね。それをボクもノッて作っていく。連日の泊まり込みも、ボヤきながらも楽しかった。
追い詰められて覚醒したというより、単なる暴走に近かったとも思うんですが、とにかく、これで「広告がオモシロくなってしまった」んです。先輩プランナーのおかげで「実験的なマンガ広告」もいくつかやることができて、そういう職能の活かし方も見えてきたわけです。


・・・・さて、いつまでもボクの昔語りをしていても仕方ない。
マンガの話に戻さなきゃ。

とにかく、ボクは、こうやって広告の面白さに、のめり込んでいくんです。
そして、紆余曲折しながら、今日に至ります。
様々な偶然と出会いが、単なる「売れなかった漫画家」を「広告専門の漫画家」に変えていったわけです。



(08年8月5日:補足)
結局、マンガよりオンナとかカネ(収入)が大事だったんじゃないか。広告に流れちゃうってのは、ようするに「その程度の漫画家」だったんじゃないか、という意見は否定しません。
実際そうだったんだろうな、と。
カノジョには「漫画かオマエかという状況になったら、オレはマンガを選ぶしかないから」な〜んて、若い頃は言ってたんですが、現実はその逆になっちゃった。
それはカノジョのためなんかじゃなくて、自分が、マトモな給料もらって、フツーの暮らしをしたかったってコトなんですね。

でも、フツーの暮らしを望むことが悪いとは思えないです。「まんが道」を選んだからって「それ以外の全部を犠牲にしてでも」とは思ってなかったし、今でも同じ考えですね。
あのまま一般誌の漫画家を続けていって、フツーの暮らしに届いたかどうかは、今になっては分からないんだけど、ボクは「たら・れば」で将来を考える気にはなれなかった。でも、その一方で「まんが道」を諦める気にもなれなかった。フツーに暮らしながら歩める「まんが道」もあるんじゃないかと探し続けてきて、今は、その1つの回答として「広告マンガ」をやっているわけです。
それは、ある意味では妥協の結果ですが、ボクはこれでよかったと思っています。
仕事は楽しいし、ちゃんとやっていれば、ソレなりに描きたいものも描けるしね。

だからって「まんが道」に全てを賭けるのが悪いとは言わない。
ボクも最初はそうだったわけだし、それくらいの強い気持ちがないと続かないだろうしね。
ただ、全額ツッコんだら勝たせてくれるというほど甘い世界じゃないわけで、もしも本気で挑むなら、トンデモなくリスキーだってことも覚悟して挑んでほしいと思うわけです。趣味で描いているときはいいけど、職業として目指すなら、リスク対策もしてほしいと。

「リスク対策すること自体が、最初から腰が引けてるってコトだ」とか言われる事もあるのだけど、逃げ道を作るんじゃなくて、チャレンジし続けられる環境を作るくらいに考えるべきだとは思うのです。
才能があっても、いつチャンスを掴めるかは誰にも読めないし、プロになった後も、連載が終わる度に生活や人生設計がグラグラしちゃうようでは困るんだから。出版社はソコは支えてくれないんだから。
出版社メインにしつつ、ボクみたいな仕事の道も確保していくようにすれば、リスクはずっと少なくなると思いますよ?

ウチで手伝ってくれているスタッフも、一般誌デビューを諦めているわけじゃない。ボクも応援している。
もしもデビューし、もしも売れちゃったりしたら、当然ウチの仕事はできなくなるのだけど、ウチから出た作家が売れたってのはウチにとっては「いい宣伝」なんだし、構わないと思うんですよ。そのときは後任のスタッフに入ってもらえば済むわけだしね。印税よこせとか、アホなことは言わない。
気持ちよく送りだしてあげたいと思いますね。


カケモチでやれるときはやればいいし、売れなくなったときも、帰ってくればいいと思っています。カケモチで両方描くのは無理でも、新人スタッフにアドバイスするくらいはできるだろうし、ウチの新人を「研修」ということでアシスタントに提供する事もできそうだし。
これはボクの事業だけど、漫画家たちの「役に立つ」と思っているんですよ。チャンスを掴むまで支えるとか、売れない時期を支えるとかね。色々なクライアントに接する事で世間の実際を知る場所にもなるし。
単なる広告マンガプロダクションじゃなくて、漫画家を支えるビジネスモデルにしていきたいと思っているんです(もちろんクライアントには、満足いただける作品を提供しつつ、ですよ。漫画家を支えるために仕事をくれ、とは口が割けても言いません。失礼ですから)