●[広告漫画家のつぶやき]
03.マンガは作者のモノだけど「マンガ連載」は出版社のプロジェクト
作品は作者のものだ。連載作品だろうと、単行本描きおろしだろうと、読みきり作品だろうと、とにかく作品は作者のモノだと思う(だからって何をしてもいいとは思わないんだけど)。
でも「マンガ連載」は作者のモノじゃないと思うんですよ。
「ええっ?数行前に連載作品も作者のモノって書いてあるだろ?」って言われそうだけど、「連載作品」という作品のことじゃなくて「マンガ連載」という形式のことね。
まだ???な人もいるかも知れないけれど、コレすごく大事なことだと思うのだ。

作品は作者のモノだけど「マンガ連載というプロジェクト」の事業主体は出版社でしょ。連載形式でマンガを売っていくという商売をやってるのは出版社なんだよね。
しかも、まず連載マンガというプロジェクトがあり、それに漫画家を割り当てているわけで、明らかに事業が先(黎明期はともかく現在はそうだ)。漫画家は最も重要なプロジェクトメンバーではあるけれど、事業主ではないわけだ。
そして、出版社は漫画家のために事業をやっているわけではない。
出版社は出版社のためにマンガ連載という事業をやっている。

自分たちのカネでだ。

そりゃそうでしょ、と漫画家の多くは言うだろう。
でも、本当に分かってるのかな?

編集者にしてみれば、自分の所属する会社がカネを出して、自分のプロデュース作品として、自分がイメージするものを作っているわけだから。漫画家に依頼して、自分(=出版社)が望むものを描いてもらっているわけであって、漫画家が望むものを頼んでいるわけじゃない。
もちろん、描くのは漫画家だから、双方の思惑が合致するところで作品が生まれていくのだけど、でも「依頼を受けて描いている」のだから、あくまでも依頼主の考えを優先させた上で、ということのハズなのだ。

一冊250円で200万部発行なら、5億円。それも毎週。そんなトンデモないカネが動いていて、影響を受ける人がたくさんいる。人気(売り上げ)が2割落ちただけで1億円の損害ですぜ?。オソロしいよねぇ。
でも、その損害賠償を漫画家に求めるわけにはいかない。
となれば、せめてクチは出したくなるでしょ。
マンガ雑誌である以上、漫画家が中核をなすのはトーゼンだけど「トンデモないカネがかかった出版社のプロジェクト」という事業全体で見れば、作者の自由にできる部分なんて、ホンの少しでしかないはずなのだ。

漫画家にしてみれば、
「長期連載なんだから、先々を考えたら、ここは伏線を張っておきたい。」
「つじつまが合わなくなるような無茶や無理はしたくない。」
「自分の思うように描きたい。」
と思う。

ボクも同じ気持ちだし、作品づくりはそうであるべきだとも思う。
それは漫画家は必ずしも営利だけではなくて、作家として表現したいモノを持っているからだ。そういうこだわりがあるから作家なのであって、だからこそ、売れる売れないは結果論、みたいな考え方でもやっていける。
でも、それは漫画家だけの考え方だ。マンガという製品を作り売っていくプロジェクト全体でみれば、漫画家は、出版・流通・販売といった大きな流れの中の1つにすぎない。事業である以上、事業に関わる全員の利益や思惑も考慮しなきゃならないはずで、その意味では「作品としてはNGでも事業としては正解」ということもあるのだと思う(広告マンガならしょっちゅうですね)。

編集者の立場で考えると、作品づくりは手段であって目的じゃない。彼等の目的は、売り上げを上げることなのだ。イイモノを作るのは、売り上げを上げるための手段に過ぎない。そしてトンデモないカネが動いているのだから、事業リスクを少しでも小さくしたい。
規模は全然違うけれど、ボクも事業主だから、そういう気持ちは良く分かる。
先々のことも考えなきゃいけないけれど、今週号のことも考えなきゃならない。
ていうより、今週号のほうが大事。
先週がどうだったかは、もう終わっちゃったハナシで、いまさらどうにもならない。来週がどうなるかは、今週を売らなきゃ考えてもイミがない。
これはショーバイなのだ。

だから、もしもボクが編集者だったら・・・

「バカ言ってんじゃね〜よ!先々もクソも、今週のカネを稼げなきゃ、そんなモンね〜んだよ!伏線張ってるヒマがあったらハデなシーン描けよ!」
「つじつまなんかは、後で合わせりゃい〜んだよ!カネかかってんだから、地味なキャラなんか出してんじゃね〜よ!」
「テメ〜の思うことなんか、ど〜でもいいんだよ!それとも売れなかったら、オマエが全額保証してくれんのかよ!?」

・・・思わず、言っちゃいそうだ。
だってコワイもの。数億円の失敗なんて。人生消し飛んじゃうもの。

実際に担当編集者が損失補填させられるわけじゃないけど、会社のカネと誌面を使ってアレコレやった挙げ句に「やっぱ売れませんでした」じゃ、立場ないからね。出世は遠のくし、失敗が重なれば減給とかもあり得る。会社が傾いちゃうことだってある。家族抱えて、フツーの人生送っていれば、それはコワイよなぁ。
しかも出版界全体が冷え込んでいるから、今の週刊マンガ誌は慢性的な赤字を抱えていることが多い。毎週億単位のカネを注ぎ込んで、マンガというバクチを続けているようなモン。ま、商売って何でもそういう部分を持ってるし、当たり外れは仕方ないのだけど、限度ってモンもあるわけで、ヤバくなれば、コワい筋の人じゃなくてもコワくなるしかないよねぇ。

そういう現実を漫画家は、もうちょっと実感した方がいいと思うなぁ。
理屈としては分かっているのだろうけれど、実感が伴っていないフシがある。
漫画家とは、個人事業主であって、どんなに懇意にしていても出版社は他人で、本当はひとりぼっちで、自分で自分の人生設計をして、漫画家という事業を続けていくしかないのだ、ということを。

ただし、出版社側に問題がないわけじゃない。
ボクはね、出版社と漫画家の意見が会わない時、出版社側が押し切りたいと考えるのは理解できる。出版社で描いていた若い頃には分からなかったけれど、今は分かるんだ。カネ出しているのは出版社だからね。事業主が事業内容を自分の思うように決めたいっていうのは、アタリマエのことだと思う。

ただ、それなら事業主として作品に対する責任も負うべきだと思うのだ。
作品のプロデューサーだとハッキリ認めるべきだと思う。
つまり、表紙に作者名と一緒に「出版社プロデュース」と、クレジットすべきだと思うんだ。作者名っていうのは、誰が責任を負っているのかを明らかにするものだからね。
編集担当として作品に口出しするってコトは、ちょっとゴーインな例え話になるけれど、事件を起こした実行犯の背後に、それを指示した「真犯人(間接正犯)」がいるようなモンだからね。自分の名前は伏せて、でも、やりたいことをやるっていうのはズルイ。出版社のプロジェクトとして作品の手綱を握りたいというのなら、堂々と名を晒し、責任も負うべきだろう。事業主なんだから、当然のことだ。

いずれにせよ、基本的なビジネスの構造として、マンガ連載は事業主である出版者側のビジネスだろうし、商業誌に描くっていうのは、出版社にビジネスの部分をやってもらい、その枠組みの中でやっていくことを選んだと言うことだとボクは思う。
ならばギリギリでぶつかったら出版社が優先されるのは仕方ないんじゃないかなぁ。
編集が余計な口出しをしてオカシくなり、結果として売れなくなったとしても、カネの責任を負うのは自分(出版社)なのだから。
漫画家はカネの問題じゃないと言うだろうけど、出版社にしてみれば商売なんだからカネの問題なんだよね。で、そのカネの問題を背負うのは出版社。自分たちのカネで勝負するんだから、成功も失敗も自分たちで決断したい。だから、こっちの言う事を聞けよ、というのも分かる気がするのだ。

そういうことが嫌なら漫画家は自分でビジネスやればいいと思う。
出版社の有名雑誌に描いているかどうかだけが漫画家の価値観ではないはずだ。同人だろうが自費出版だろうが、漫画家には違いないのだから。
今はインターネット等での販路もあるわけだし、自費出版でもやれないわけではない。現実に「商業的にやっている同人作家」は、そういうことをやっているわけだし、不可能ではないだろう。
それは、とてもリスキーことで、事業計画だの販売計画だの厄介な事業計画も自分でやらならなきゃならない。誰も当てに出来ないし、創作活動だけに専念することも許されない。
でも、だからこそ「本当に自分の自由」になるのであって、面倒な事や厄介な事を誰かにやってもらっている限りは、その分だけ言う事を聞かなきゃならないのだ。
出版社に「商売」をやってもらいながらマンガを描いていれば、厄介は避けられるけれど、その分だけ自由にならないことや、やりたくないこともやらされると考えるべきだと思う。