●[広告漫画家のつぶやき]
16.漫画家の専属制ってヘンだよな
ボクは「漫画家の専属制」が漫画家をダメにしたと思っている。
個人事業主であるはずの漫画家に、特定のどこかへの所属意識が芽生えてしまったからだ。その結果として自分で自分の事業を制御できなくなったように感じるのだ。

個人的には、多少の保障があったとしても自分の可能性を全部預けてしまうことには、抵抗がある。
あ、あくまでも今は、ってコトだよ?当時は専属になりたいって思ってたもの。専属になるってのは認められたってコトでステータスだと思っていたし、丸っきりのフリーよりもずっと有利だとも思っていたから。
でも、会社員もやって、独立して個人事業主としてもやって、20年も生きてしまうと、色々分かってくる。専属というアマイ言葉の影に、どれくらいのリスクがあるのかをね。

ボクは何度か会社員(部長や社長として雇われた事もあった)を経験していて、その都度、経営者とぶつかって辞めるハメになった。会社の器量がボクの思惑より小さいと感じると、そうなってしまう。
「テメ〜、個人のオレでさえこれだけの野望を持ってるのに、大勢が集まったカイシャがちっちゃいコトしてンじゃね〜よ!」って思ってしまうのだ。
その「ちっちゃいコト」は、社員への待遇だったり、企業ビジョンだったり、顧客サービスやサポートの程度だったり色々なのだけど、とにかく会社に身を預ける以上、その会社はオレよりデカい器であってほしい。でも、相手の本当の器なんて簡単に見抜けるモノではないし、状況や立場でも変わっていくから分からない。出会った時点で確実に自分を超えているとしても、小さくなっちゃうかもしれないし。
会社の器が、そのまま自分の夢や収入に直結してるんだから、みみっちい親分の下にはいたくないんだよな。だからボクは、会社員に向いてないんだ。

おっと、閑話休題。

とにかく、どこかの専属になるということは、他の可能性を切り捨てると言う事でもある。ましてや、そのリスクを補えるだけの保障すらないような曖昧な条件での専属契約は個人事業主としては、最悪の選択だと思う。

そもそも専属は所属ではないんだよね。
A社専属になってB社を切り捨ててしまえば、2度とB社とは付き合えないかもしれない。A社の専属期間が終了した時、元のように仕事が出来なくなる可能性があるということなのだ。だから専属契約に応じるということは、可能性を切り捨てて確実性を選択すると言うことを意味している。
ならば「リスクを補えるだけの保障」は必須条件だ。契約終了後の諸問題をクリアできるだけのギャランティか、契約終了を考慮しなくても良いだけの期間か、どちらかの条件を満たさなければ意味が無い。
社員になったりするのは、正にそのための契約であって、現在の法律では一度正社員として認められれば、雇用主も身勝手に社員を切り捨てる事は出来ない。そういう条件が整っていても、ボクみたいにモメて辞めざるを得なくなることがある。
明日を迎えるために、今日を乗り切らなきゃならない、ということはある。が、目先のことだけで専属契約を結んでしまうと問題を先送りするだけの事で、いつか、もっと重たいシーンで自分の首を絞めることになるものなのだ。

漫画家の専属契約は、将来へのビジョンが抜けている。でも、専属である以上、他社との取引は制限されるし、それでいて出版社は、一方的に連載を切る事ができるし、単行本を出さないこともできるようだ。不平等じゃない?

こんなことを書いていると「いやいや、専属ってそこまでヒドくないよ。実際、専属でやってると有利だもん」と言われそうだ。確かに、描いてないときでも専属料がもらえたりすることもあるもんね。
でも、ソレって「専属でいられる間は」でしょ。
生涯保証付きの専属なんて聞いた事ないし、なら専属じゃなくなるコトもあるわけだ。運良く、一生蜜月状態が続けばそれでいいけど、そんなのアテにならないでしょ。漫画家と編集部の関係なんて、業務上の関係に過ぎない。ビジネスにだって人情はあるけれど、それはアテにしていいものじゃないしね。
だいたい、売れてるときに専属契約を解除する出版社なんかないから、解除されるとしたら、売れなくなったときだよね。専属切られて、お金ももらえなくなって、しかも売れない漫画家なんて、誰が拾ってくれるの?

売れているうちに、売れなくなった時の対策をちゃんとやっておくべきなんだ。
そして、チャンスや可能性っていうのは、自分の中から出てくるだけじゃなく、色々なところから持ち込まれるものなんだよ。多くの出会いやムダ話の中から「おっ」というモノが浮かび上がってくる。
そのためには、漫画家は自由でいなけりゃダメだと思うんだ。
他のコラムでも再三書いたから、しつこいとは思うんだけど、リスク対策ってのは、「予定通りにいかないときのために考えておく事」であって、上手くいったときのことは、ど〜でもいいんだ。
専属じゃなくなるときのために、他の出版社とも誼を通じておくとか、ボクのように広告での仕事も時々引き受けておくとか、やっておかないと泥縄になっちゃう。

少年マガジンの編集長だった宮原照夫氏が書いた「実録!少年マガジン名作漫画編集奮闘記」でも、漫画家の専属制には触れていて、宮原氏のようなキャリア組の(元)編集者も専属制度に反対の立場を取っていることが伺える。
同著では「漫画家は天下の回りもの」といった表現が使われており、特定の編集部が漫画家を抱え込んでしまう事による弊害が説かれていた。
宮原氏の論旨はボクのソレとは異なるが、宮原氏の時代には、編集者は漫画家と一蓮托生で苦楽を共にするといった気骨が十分にあったように感じる。むろん、そこまでの覚悟を全ての編集者に求めるべきだとは思わないのだけど、専属制という「縛り」ができたことで、編集者が大した覚悟もないままに漫画家や作品に取り組むようになったという傾向はあると思う。だって専属なのだから、簡単にその作家や作品を失う事はないのだから、油断がうまれる可能性は大きくなるでしょ。

同じ事は漫画家にも言えて「A社の専属」ということで安心してしまう部分があるように感じる。実際は「上手くいっている間だけの関係」に過ぎなくて、実質的には、契約書すらない連載一回ごとの短期契約が連続し続けているというだけに近いのだから、安定性はないハズなんだけど。
本当は、昔も今も、作品も、連載も、チャンスも一期一会。
ならば、常に次への牙を研いでいなければならないはずなのだ。特定の編集者からも、編集部からも、常に自由な立場でいて、しかも常時牙を研いでいなければならないハングリーさが、時に傑作を生み出したりするのだとも思う。
専属という縛りは、そうした意欲や野心にもマイナスな気がする。

とにかく、自由業が自由を失っては意味が無いと思うんだよね。
漫画家だけではないが、個人事業主としてやっていくというのは、己の力でやっていくというのが大原則。編集部と懇意にするのはいいけど、当てにしていいわけじゃないのだから、漫画家にとって専属制にメリットはほとんどないんじゃないかなぁ。
(短期的な意味ではメリットもあるだろうけど、数年間救われても、その先のビジョンがなければ、むしろキツくなるだけだし、オレはお断りだよ。)