●[やりたくないユーザーたち]
17.WEB会社の誕生
私たちのようなWEB制作会社(業者)は、どのようにして生まれたのか。
ここ2、3年は最初からWEB専門会社として設立されたベンチャーも多いが、それらも、元々は別の事業に関係していた人たちである。
最も多いのは、広告会社とプログラム会社、そしてその出身者で、私もその一人である。都心部でも地方でも、ITベンチャーの多くは、従業員10名以下の小規模経営が多かった。彼らは広告やプログラムに付随する新たな稼ぎ口として、WEB制作を引き受けていたのだ。
1995〜1997年くらいまでの、WEB業界の黎明期には、これら各社が得意分野を売り物に発注を奪い合う、という状態だった。

両者は、インターネット以前には、まったく商圏の異なる会社であって、互いのことをよく知らなかった。そのため、いずれも自社の得意分野を吹聴し、不得意分野を軽く見る傾向があった。
見た目がしっかりしていれば、プログラムは動いているだけでいい。
プログラムが高度であれば、見た目はさほど問題ではない。
言うことは会社によってまるで違う。
実際、当時のWEBサイトの多くは、見た目もプログラムも単純なものが多く、どちらの業界から見ても「簡単にできて稼げるオイシイ仕事」だった。広告会社は広報の観点から、プログラム会社は技術の観点から、我こそITビジネスの主役、と主張したのである。
ややこしいのは、どちらも相手を否定するわけではなく「より重要なのはどっちか」という、アイデンティティ論争だったことだ。ゆえに、両者の言い分にはそれぞれ正しい部分があり、それが発注側を煙に巻くことになる。

本当はどちらが正しいのではなく、WEBサイトにはどちらも必要なノウハウだ。
WEBサイトは、正にマルチメディアなのである。
デザインはプログラムのことも考慮して考えるべきだし、プログラムはデザインと合致していなければならない。そして、それらはIT戦略に沿って組み上げられるべきで、そのために必要なハードウェアを用意する。

当時はこうしたことを総合的に考えている業者が少なかった。
ただでさえ、簡単なHTMLを覚えただけのエセ業者が乱立していた時代で、その上ホームページは個人(品質を問わなければ)でも作れる。
WEB制作業者は、人の弱みにつけこんで手間賃を荒稼ぎする怪しげな業種、と思われるようになってしまった。
本来、協力関係にありながら、一方で互いに足を引っ張りあう関係でもあった両者が、徐々に歩み寄るのは1997年頃からである。
インターネット人口が増え、利用者の要望が大きくなると共に、互いの力を合わせないと生き残れない時代になったのだ。またサイト数も膨大になり、レベルの低いサイトでは何の効果も生まれなくなった。
「手間賃」だけのエセ業者では通用しない時代になり、ようやく業界と呼べるようになったわけだ。

現在のITベンチャーの多くは自社だけですべてをこなすのではなく、元請けの会社が中心となって、複数でWEBサイトをコーディネイトすることが多い。
ライバル関係は相変わらずだが、互いの力は認め合っており、必要に応じて手を結ぶ。大掛かりなサイトを作るときなどはプロジェクトチームが編成され、各界の専門家が集められる。
それぞれ得意な分野を担当し、中心となる会社が統括する、ということだ。
住宅業界などと同じ体制といっていい。
この方法も中間マージンの発生など問題がないわけではないが、専門的な技術集団を管理統括するノウハウが発注側にない以上、有効な体制ではある。制作業者側も、互いを否定しあうような体制ではなくなり、よりよいサイトプランを提案できるようになった。
IT活用に成熟した企業の多い大都市圏では、こうした対応が多くなっており、得意分野の作業能力よりも、トータルのコーディネイト力が重視される時代になっている。

だが、地方では、まだまだ怪しげな業者も多いようで、今でも2〜3時間で済むような仕事に何十万も払ってしまった、といった話を聞く。
発注側は、そうした「罠」に引っ掛からないよう、相手を見抜く目を持たなければならないが、専門的な話となると難しい。
そういう時は専門用語を全部飛ばして考えよう。相手が言っていることは筋が通っているかどうか。うわべの機能や言葉、あるいはデザインだけに惑わされないよう、自分たちのIT戦略をはっきりと持つべきだ。
その戦略に沿って相手を見れば、技術用語はわからなくても、根本的な考え方などは見えてくる。

※コンピュータやインターネット用語は日本語に翻訳しにくいものが多いが、それでも私は、できるだけ相手が理解できる言葉を使うように心がけている。
時折、プログラマーを伴って客先を訪れることもあり、プログラマーの立場から意見を言わせたりすることもあるが、ほとんどの場合「宇宙人と話しているようだ」と言われる。私でも、高度なプログラム内容に話が及ぶと、もう、チンプンカンプンである。
それでも仕事をきちんとこなせるのは「何を、何のために、どうするのか」がはっきりしているからだ。
テレビ内部の構造がわからなくても、使うことも選ぶこともできる。