●[WEBクリエイターの2900日]
03.できないとは思わない
「め組の大吾」という小学館・少年サンデーに連載されていた漫画があった。消防士を描いた話なのだけど、その最終回近く、絶望的な災害現場を前に、こんなセリフがある。

「こんな時でもおまえはなんとかなるって思ってんだろ?。夢を実現しちまう奴は、自分にはできないかも、なんて思ったことのない奴なんだ。自分はサッカー選手になれないかも、と思ったこともない奴が本当にプロになっちまうんだよ」

原文そのままではないが、このセリフ、僕は思い当たるものがある。
僕は子供の頃から漫画家を目指していた。漫画家になるには出版社の新人賞に応募し賞を取る、というのが普通だ。この新人賞の競争率は東大なんぞとは比較にならないくらい高い。しかも賞を取ったとしても、そこから本当のプロとして連載などを任せられるのはホンの一握りなのだ。僕には大勢の漫画仲間がいたが、みんな本当にプロになれるとは思っていなかったようだ。両親も友人も、僕の進路に賛成してくれた人は誰もいなかった。
だけど、僕はプロになる、と決めていた。「なれるか、なれないか」ではなく「なる」と決めていたのだ。どうせプロ作家になるのだから、普通の勉強なんて意味がない、と高校を辞めようとしたこともある。自分がプロ漫画家になれない、なんてことは思ったこともなかった。プロを目指して18歳で東京に出たとき、出会った漫画家のタマゴたちはみんな僕より数段巧かったが、「なぁに、それでもプロになるのは俺だ」と信じていた。
そして、20歳のとき、絵はあいかわらず皆よりも下手だったが、僕はデビューし、22歳で連載をもらった。

その後、僕はふとしたことからデザインの道に入り、そっちの方が楽しくなってしまい、プロ漫画家としては筆を折ったが、「夢のカタチ」はハッキリしていればいるほど実現できるように思う。
今も僕には夢がある。
そして「夢の先の夢」「そのまた先の夢」もある。

※「め組の大吾」は最近文庫判も刊行された。面白いから未読の人はぜひどうぞ。

※漫画家を辞めた理由はいくつかあるが、その1つに「手塚治虫センセイ」がある。僕は「手塚世代」ではないので、手塚作品はあまり読んでいなかったのだが、「アドルフに告ぐ」を読んで打ちのめされた。コレは描けない!、そう思ったものだ。それまでは、どんな名作を読んでも「なあに、いつかは追いついて見せる」と思っていたものだが、「アドルフに告ぐ」には追いつけない。その後、手塚作品をむさぼり読んで「シュマリ」でもう一度、打ちのめされた。
人間の大きさの差、とでも言うのか、チャンスうんぬんではなく、この人には勝てない、と思ったのだ。