●[WEBクリエイターの2900日]
08.世紀末ハリウッド(2000年2月のコラムより)
かつては映画少年として毎日のように映画館に入り浸っていたものだが、最近はビデオで、有名な作品を観る程度になってしまった。
そんな僕でも気になったのが最近のハリウッド作品。タイタニック、アルマゲドン、プライベートライアン、ホーンティング、奇蹟の輝き、エンドオブデイズ・・・。これら最近ヒットした大作は、みな主人公が死んでしまうのだ。しかも、どれもこれも死んだことで幸せになれた、と言わんばかりの「死」の描き方(特に「奇蹟の輝き」は最悪)。
以前のハリウッド作品なら、例え絶対助からないような状況であっても、主人公は必ず生き残ったものだ。ご都合主義と言われようが、タフガイの主人公は絶対絶命のピンチを切り抜け、観客は彼らの生還を称えたのだ。それが「死んだら天国で幸せな日々が送れるよ」的な内容に一変した。しかも、いずれも記録に残るような大作ばかりだ。
これら「死を肯定する」かのような作品を観たティーンエイジャーはどう思うんだろう?。
最近、子供の自殺や暴力が大きな問題になっている(注)。少なくとも僕は、自分の子供たちにこれらの作品を見せたくない。何が何でも生き延びて、生きる喜びを味わって欲しいと願っている。誰がなんと言おうと「死」が勝利することは絶対に間違っている。
同様の傾向は日本映画やテレビドラマにも見られ、世界中のメディアがこぞって「死」を美化しようとしているようにさえ感じられる。これは世紀末の現代を生きる人々に自然と起こってくる考えなのだろうか。「Xファイル」のような作品に影響されたわけではないが、「死」に対する恐怖感を押さえようとする何かの情報操作では?、とSF的な想像さえ浮かんでくる(実際、映画は国家を挙げての戦略商品でもある)。
だが、これらの作品の対極に位置するものも近年製作された。「マトリックス」である。すべての人々が一生眠ったまま、夢の中で偽物の人生を生きている未来。そんな中、現実に目覚めた人々が世界を支配するコンピュータに対して抵抗していく。まさにメディアが個人の感情までコントロールする現代そのままのドラマではないか。そして、主人公は「死」すら乗り越えて生き残る。
先の作品群が、ハリウッド全体の、なんらかの意思(思想)に支配されたものであるならば、同じハリウッドから何故「マトリックス」が生まれたのか?。
今、メディアに何が起きているのか。その影響力の大きさを考えれば、楽しんでばかりはいられない。

(注)
念のために断っておくと、僕はゲームや漫画、映画などの「暴力描写」そのものは、子供に悪影響を与えるとは限らない、と思っている。実際、「ゾンビ」や「エイリアン」も大好きだし、「バイオハザード」にもハマった。暴力シーンそのものが暴力を呼ぶのではなく、その扱い方こそが問題なのだ、と思う。

(注2)
このコラムは、ちょっとした思考遊びといった範囲のもので、イルミナティやらユダヤ世界征服論やらの「トンデモ妄想(笑)」を持っているわけではないことをお断りしておきます。漫画家ですから、そういう想像遊びは好きなのです。ただし私が、ここに挙げたような映画に否定的なことは事実で、映画やテレビでは生きる喜びをこそ描いて欲しいと思っています。