●[WEBクリエイターの2900日]
19.人は死して情報を残す?
今回はちょっとわき道に逸れて、インターネット普及要因を生物学的に考えてみた。
子供の頃、人間を始めとする生き物には自分の種を残そうとする本能がある、と教えられたものだ。近年は「利己的遺伝子」など、種でなく「血」を残そうとする、と言い換えられ始めている。
「利己的遺伝子」の考え方では、種族ではなく自分の血、つまり「個体としての自分自身の情報」を残すことを優先すると考えられている。だが、そう考えると遺伝子による情報伝達では極めて不完全だ。本来自分を自分たらしめているのは、記憶であり思考だ。遺伝子では、この一番大事な部分が(立証されていないのでたぶん)伝えられないし、「血」の方も、どんなに精力絶倫な人であっても、やはり非常に限られた、ごく少数(我が家の場合は1人)にしか情報を託せない。

虎は死して皮を残し、人は死して名を残す。
ふと思ったが、この言葉は、進化そのものではないだろうか?。考えてみれば、パソコンがクラッシュして困るのはハードそのものより、その中に記憶されているデータが失われることの方だ。買えば復旧するハードよりも、自分で蓄積したソフトにこそ価値がある。つまり本来残すべきは「血」ではなく「メモリー」では?。
だとしたら、より本質的な、自分の能力や思考を受け継いでくれる相手であれば、必ずしも血縁関係は必要ではない。僕自身も我が子のベッタリのバカ親なのだが、これは血縁のせいではなく、情報を受け継ぐ者として、最も身近だからなのではないか?。同じ時間を養子と過ごしても同じ感情を持つのではないか?。

生き物の本能とは、血や遺伝子に限らず「とにかく自分という個体の情報を残す」ことではないのか?。
生き物は自らを後世に残すために、本能的に、より優れた情報伝達システムを模索していくのではないか?。
動物は「血」しか残せないが、人間は言葉や文字を扱うことで、ハードだけでなく、ソフトも残せる生き物だ。自分という個体にとって最も大事な情報「記憶」を、第三者の記憶に、文字に、そしてPCのデータとして残せる。

はじめに言葉ありき。
人間は言葉から始まって、文字、そしてデジタルと、より高度な情報伝達手段を生み出してきた。そして、インターネットが登場する。過去最高の記憶媒体であるコンピュータと、これまた過去最大の伝達手段であるインターネット。自分でも覚えておけないほどの情報量をネットワークに送り込むことで、無限に増殖されていく可能性を持っている。自らのメモリーを残す本能があるとしたら、インターネットは過去のどんな方法より効率的だ。インターネットの普及は、まさに自らの生き残りを求めての本能的な「生殖行為」なのかも知れない。

PS.
もっとも(ややSF的になるが)、本当に自分の全てをメモリーしておけるハードが生まれたら、それは永遠に生きるのと変わらない。自らが永遠に存在できるのだとしたら、バックアップ的な意味合いはともかく、情報を残す必要はなくなるわけで、生存本能も、そこから生まれる(だろう)愛情も失われるのか・・・。

少々、寂しい考えにもなってしまったが、時にはこんな思考実験も面白いね。