●[WEBクリエイターの2900日]
28.グレートマジンガーが嫌い
マジンガーZ。
スーパーロボットが活躍する、日本独自のアニメジャンルを築いた人気作品で、私と同世代の男性なら、覚えている方も多いだろう。
その続編として作られたのが、グレートマジンガーだ。
数々の戦いを勝ち抜いた、無敵のロボット・マジンガーZ。しかし、新たな敵にはまったく歯が立たない。必死に立ち向かう姿も空しく、無残に、一方的に壊されていく、僕らのヒーロー。
そこへ、颯爽と現れるのがグレートマジンガーだ。あの無敵のマジンガーZさえ敵わなかった敵を、圧倒的な力で倒していく。こうしてヒーローは代替わりし、グレートマジンガーの時代が来る・・・。この主役交代の演出はテレビ放送の最終話だけでなく、テレビとは異なる劇場作品として先行公開もされ、後年「燃える演出」の代名詞とも言われ、もてはやされた。子供時代のボクも、やはり盛り上がっていたように記憶している。

だが・・・。

大人になったボクは、グレートマジンガーが嫌いだ。
今まで応援してきたマジンガーZを役立たずに追いやった、気にくわない奴。その強さも、ズルイとしか思えない。マジンガーZの装甲に使われている超合金Zを上回るニューZに身を包み、すべての能力が数ランク上。そんな技術があるのなら、なぜマジンガーZを改造してやらないんだ?!と感じ始めてしまったのだ。
マジンガーZは、決して楽に闘ってきたわけじゃない。何度もピンチに陥り、その都度新たな力を身に付けてパワーアップしてきた。そうやって成長し努力を続ける姿も含めて、ヒーローだった。強けりゃいいってモンじゃないだろう。
コツコツ努力してきた奴が、突然出てきた金持ち(しかも生意気でヒネた性格!)にすべてを奪われる、そんな印象すら感じている。

近年の子供向け番組では、ストーリー中盤で新たな主役ロボットが現れることが多い。これはストーリー上の必然性というより、オモチャメーカーが新商品を出すための都合が大きいのだが、それでも主人公は同じだ。新型に乗り換えるというだけのこと(しかも旧主役ロボが市場で価値を失わないよう、旧ロボも登場し続けることが多い)で、人格の同一性は保たれている。視聴者は応援すべき対象を見失わない。
しかしグレートマジンガーは、パイロットである主人公ごとの総入れ替えだ。高い人気を誇った番組を後継するのだから、登場からしてインパクトが必要なことはわかる。だが、その「売り込み」のために、これまでの主人公を貶める必要はないではないか。

・・・とまぁ、たまには個人的なシュミの話も、ということで書いた論考なのだが、コレと似たようなコトをボクは業界で何回も見てきた。

「新システムがリリースされたんですよ、古いものはココがダメで、アレが不便でしたよね?それがコレコレになるんです!もう古いバージョンでは時代についていけませんよ?」
ホントか?。だって、先月までは古いのを勧めていたじゃないか?。で、来月は別のを勧めるんだろ?。バージョンアップやら新機能やらを売り込むために、執拗なまでに昨日までの主役を貶めるトークを連発する。昨日まではイイところだけをアピールしていたのに、うって変わって旧商品の悪いところをアピールし始める。
これは、あまり賢いトークとは言えないと思う。
新しいものが優れているのはわかるが、それを利用者が必ず歓迎するとは限らない。今までの操作方法への慣れや愛着だってあるのだ。

例えどんなにイイモノであろうと、売り手の都合でお客を振り回してはいけない。
お客は意地を張ったり、必要な費用を惜しんでいるのではない。新しいものを受け付けないわけでもない。ただ、その人(企業)にはその人なりのペースがあり、リズムがあるのだ。お客のペースを掴むのも、大事なことだと思う。



(グレートマジンガー最終回でマジンガーZはパワーアップして復活し、この鬱憤は晴らされた)
(ボクはスーパーロボット大戦(往年の人気ロボが沢山登場する人気ゲーム)をプレイするときも、マジンガーZを贔屓して使う。このゲームではレベルアップや改造によって登場キャラクターを強化していけるが、絶対にグレートマジンガーが、マジンガーZ(および、その他の贔屓キャラクター)を上回ることのないように注意しながらプレイしている(使わないわけではない))