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30.地球は泣かない。
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環境問題が大きく扱われることが増えてきている。
地球環境を守ろうとか、地球に優しくとか、地球が泣いてるとか、地域の美化運動とか。昨年は娘が「モーニング娘。の熱っちい地球を冷ますんだ!」にハマっていた。
地球が泣いているからと、ボランティアの呼びかけなんかも頻繁に行われている。
でもさ、ちょっと待って。
ホントに地球は冷まして欲しいの?。熱っちいほうが嬉しいかもしれないじゃないか。元々、地球ってのは高濃度の毒ガスに包まれた星だったわけで、生物が生きていけるような環境の時間のほうがずっと短い。つまり、地球的規模で考えれば、今がディフォルトってわけじゃないのだ。
生態系の問題だって、新たな生物が先の生物を駆逐してしまうことは、これまでの地球の歴史には何度もあったこと。そもそも約3億年前にも生態系が根こそぎ破壊されるような大絶滅があったし、6500万年前には恐竜が絶滅している。その要因が隕石の衝突だろうが、地軸の異常だろうが、人間の環境破壊だろうが、地球の立場で考えれば同じことだ。放射線が降り注ごうが、海が干上がろうが、億単位のタイムスケールの地球にとっては、それは一時の状況に過ぎない。
環境問題に関して、基本的にはボクも賛成だ。ただし、地球のためじゃない。
別に地球そのものは困っていない。困っているのは、人間の方だ。
動物の保護だって、本当は人間が寂しいからだ。愛すべき生き物たちがいないような環境では悲しいからだ。結局、全部、自分のため。
それを地球とボランティアって言葉で、責任の所在も主体が誰なのかも、自らをごまかしているのだ。「参加している」「協力している」といった認識が多いし、メディアもそういう報道や広報をしているが、そもそもが勘違いだ。自分のために、自分の家を掃除するのはボランティアとは言わない。環境問題とはそういうことだ、と意識を改めなければ、本当の環境対策にはならないのだ。
これは企業でも同じことだ。会社のために、お客のために、じゃない。勤めている会社がよくなれば自分がよくなる。お客が喜べば自分が嬉しい。そういうほうが、ずっと気持ち良く働けるし、前向きにもなれる。企業側も、そういう社員をちゃんと評価してあげる。
誰かのためにやってやる、やらされるのではなく、自分の環境をよくするために、社会をよくする。それでいいんじゃないかと思うのだ。
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