●[ごじゃっぺと〜さん]
23.変わらぬ毎日

このエピソードが雑誌に掲載されたのは2月だったけど、そのときには、もう独立した後。
んで、独立しても、本当にナニも変わらなかった。
こうやって会社を辞めてフリーに戻るのは、これ以前に何度も経験しているから、慣れてたってこともあるんだけど。

この独立の前、ボクは「社長」だった。雇われ社長だから肩書きだけの社長であって、決裁権も経営権もないから代表者ではない社長なんだけどね。代表権は経営者が持っていて、彼が出資・経営・経理を担当して、現場はボクが仕切る。そういう体制だったわけ。ボクはクリエイターであって経営者をやりたいわけではないから、経理とかが面倒臭くて、だから組んだわけだ。経営担当は経理だけやってるようなモノだったけど、それでよかった。
だから、この経営者とボクで、細々とやってるうちは、悪くなかった。

問題になってきたのは、売上が伸びてきて、会社を拡大し従業員を増やしたあたりからだ。
例えば、営業担当。経営者の知り合いで、地域情報誌の編集部で10年以上キャリアを積んでいて、管理職クラスだったという。だがネット関係の知識は、ほとんどゼロ。マンガの事も、もちろん分からない。いや、最初はそれでいいんだ。誰にだって最初はあるんだから。彼等が仕事を覚えるまでボクが支えるのは当然のことだ。
ただ、問題なのは、覚えようとしないことなんだよな。
いや、覚えようとは思っていただろう。でも、思っていただけで、行動しないんだよ。言えば言われた事はやる。でも、自分からは動かない。何も知らないんだから、身につけるべきことは、いくらでもある。こういう勉強をしなさいとか、見よう見まねでいいから企画書を作ってみなさいとか、社内メールで伝えてあげる(口頭で言っても忘れちゃうから読み返せるメールのほうがいいんだ)んだけど、それもやらない。
他にも社員は数名いたけれど、ほとんどがアシスタントレベル。だから売上のほとんどを一人で作っていた。打ち合わせも、企画も、制作も、納品も。WEBもマンガもチラシも。社員たちは、ほとんど何もできない。

一方、経営者にも問題が見え始めた。ボクががんばってるから、それなりに売上はあるんだよね。で、ソレでいいじゃんと思ったようだ。この会社以外にもいくつかの収益源を持っている経営者から見ると、ソレでいいらしい。だけど、ボク的には「全然足りない」としか思えない売り上げ額だった。こんな、ちっぽけなモノで満足する気はサラサラない。そう思うからこそ、がんばってるのだ。これはヤバイと思いはじめていた。

くり返すがボクはクリエイターだ。広告とかマンガとか、とにかく、そういうモノを作りたくて、この世界にいる。カネを稼ぐためというだけなら他の職業でもいいが、この仕事がやりたいのだから、カネだけの問題じゃない。だから仕事での成功や成果は、常にもっと大きなコトに挑むための準備にすぎない。悪い言い方をすれば戦争屋。クリエイティブというフィールドで戦争がしたい。プレゼン相手を倒し、血を浴びたい。もっと、もっと。
田畑を大きくするのは、もっと大きな戦いをするためなんだ。それで兵糧も、武具も、充実するんだから。手に入れた田畑を守るためじゃないんだよな。

一方、収益源とだけ考えている人は、手に入れた田畑を守りたくなる。ましてデカい成功体験などがないと、そこそこの成果で満足してしまう。もっと大きくなることは考えなくなってくものらしい。ボクに言わせれば2〜3年で築けた程度のモノなら、戦って失ったとしても、また築けると思う。千載一遇とか乾坤一擲といった戦いで得たものじゃなくて、やるべきことをちゃんとやったというだけで手に入ったものなんだから。そんなモン、何度だって築ける。守ってどう〜する?
ビジネスは戦争だ。これまでやってきたことは、戦争に参加するための準備に過ぎない。戦場に弁当を持っていけるようにしたというだけなんだ。それなのに、その弁当を食って満足してどうする?まだ戦ってないんだぜ?
社員もそうだ。
戦場で、上官の指示がなければボーっと突っ立っていて、ど〜する?弾くらい、自分でよけろ。調練だけで満足してやがる。こっちは戦うために調練してるんだよ。調練のための調練じゃないんだ。自分なりの戦い方くらい、ちゃんと考えろ。

そういう状態が2年続き、ボクはつきあいきれなくなった。2年、待ったのだ。ほとんど仕事してなかった社員たちには、十分な自己鍛練の時間を与えた。資料や助言や実地もやってみせた。経営者にも、何度も直訴した。それでも、動かなかった。ボクは最終的に「給料はいらないから、完全出来高にしてくれ」と言った。戦わないヤツには実入りもないということを、身体で分からせないと、もうダメだと思ったからだ。特に問題の大きな社員には「このままでは辞めてもらうしかない」とボクが話して、彼は結局「がんばるくらいなら辞める」という決断を下した。

その数週間後の、今年もあとわずかというとき、経営者は「完全出来高体制」の勤務条件を提示してきた。これまで通り、営業から納品までの全部を自分でやり、請求だけは会社名儀で出す。その入金を6:4で分配する。そういう内容で、これを飲むか辞めるかである。
迷わず退職を選択した。全部自分でやるのなら、4割もピンハネされる謂れはない。

退職するなら、これまでの取引先は、すべて会社の実績だから、あなたには譲らないと言われた。構わないと答え、年明けしてすぐに、全ての取引先に退職の旨と独立開業することを連絡した。
さて、これまでの取引先の全てを失って、独立開業できるものだろうか。答えは否だが、それほど心配はしていなかった。
なぜなら、失うはずがないから。会社に譲ってもらおうなどとは考えていない。取引先のほうが任意の選択で、会社よりも個人となったボクを選ぶと信じていたからだ。なぜって、ボクがほとんど一人でやっていたのだから、ボクが辞めれば事業能力のすべてが一緒に移動する事になる。会社には「ボクがいた頃の、今はできはしない実績」が残るだけであって、本当の力は何も残らない。取引先の全ては、それを知っている。

案の定、取引先のほとんどが、ボクに直接オーダーしてくるようになった。あくまでも新規の取引として。ボクは何も失わなかった。
一度だけ、かつての会社から「勝手にウチの客に営業するな」といった電話がかかってきたことがある。「営業なんか、してませんよ。でも相手がウチを選ぶんだから、仕方ないでしょう」と答えた。そもそも、そんな言い分が通るはずもないのに、かかってきたのだから、よっぽどキレていたのだろう。お金がほしいなら、作れ。努力もせずに、いつまでも誰かがお金を運んできてくれるはずがないだろう。カネはもらうものじゃなくて、作るものなのだ。

以来、ボクは個人でやっている。個人だから、個人の力が及ばないほどの大きさにはなり得ないが、個人の口を満たすには十分すぎる程度には、なっている。
仲間はいる。何も言わなくても自分で動く人たちだ。お互いに協力しあい利用しあってるが、依存しているわけではない。
アシスタントもいる。やはり自分で動こうとする。本当に自分で動けるようになるまでには、まだ何年もかかるだろうけれど、動こうと努力している人を援助するのは苦にならない。それは自分への投資でもあるからだ。彼等の力が付く事は、自分のためにもなるんだから。

人は信じていい、と思う。でも、頼っちゃダメだ。あ、いや、頼るんだけど、頼ろうとしないからこそ頼れるっていうのかな。矛盾してるけど、そんな感じだ。人を当てにしないで何とかしようとしたときにしか、誰かの助けって来ないものだしね。
ボクは、そういう仲間たちと、何かに届こうと足掻いているんだよね。
届くといいなぁ。
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