●[ごじゃっぺと〜さん]
24.ま、いいんだけどね・・

娘が中学生になった。
感慨はあった。
幼い頃は、病気で苦しんだ。小さな身体に、太い点滴の針を何本も打たれ、集中看護室に何ヶ月も閉じ込められた。痛々しい姿を見続けることができなくて、ボクは仕事に逃げていたような気がする。彼女のためにできることは仕事を頑張る事だ、と自分に言い聞かせたけれど、それは言い訳だったような気がする。

それでも元気に成長してくれた。笑顔も絶やさない。耐えてくれた娘にも、看病してくれた妻にも、オキナワに連れて言いってくれた両親にも、慎重に見守ってくれた担当医にも、本当に感謝している。

ボクは娘が苦しんでいた頃から、必要以上に仕事に打ち込むようになり、それが今でも続いている。そうしていないと、あの辛かった数年間が、また来るような気がしてしまうのだ。アレだけは2度と味わいたくない。見たくない。赤ん坊が苦しむ姿なんて、誰も見たくないに決まってるじゃないか。
だから、怖くて怖くて、仕事に逃げた。仕事に打ち込んでいれば、娘が救われるような気がして、それは現実逃避なのだろうけど、それでも、それしかできなくなった。
子供の命がかかっているから、負けられない。勝ち目があるとか成功の見込みがあるとか、そういうことは関係ない。どんな条件だろうが、勝つしかないんだ。

幸か不幸か、ソレで考える力が強化されたように思う。お金も機材も乏しい自分には、工夫する事、考える事しかできなかったからだ。無力な自分が、1本の針で、どうやったらプロレスラーを倒せるか。立派な社屋と設備を持ち、それなりの人員も有する同業他社と渡り合っていくには、そういう発想が必要だった。
隙をつく。しかしソレには、隙ができる状況が必要だ。それも、自分の力でつける程の大きな隙を生み出さなきゃならない。そういう状況を立ち上げるには、何をしなきゃならないのか。
そういうことを突き詰めていくと、やがてクリエイターが考える範囲ではなくなっていく。ビジネスという戦場でのサバイバル術であって、クリエイター的ではなくなるのだ。
それでもボクはクリエイターだから、1本の針ではないモノで戦おうとは思わなかった。子供の命がかかっているからこそ、自分が磨いてきた一番信用できる武器に頼る。だから、腕は磨いた。どれほど磨けたのかは分からないが、昨日よりは今日のほうがマシになってるのは確かだ。

ただ、テクニックでカバーできることが、ものすごく小さい事も分かってくる。ランボーやゴルゴ13がどれほど強くても、米軍全軍と真っ正直にぶつかったら勝てはしないだろう。
ゲリラ戦に持ち込むしかない。オデッサの激戦をホワイトベース隊だけで制するのは非現実的だ。だが、戦局に影響する大事な局地戦を戦う事はできる。

自分が自分の参謀になる。政治的にも、軍事的にも。そうやってボクは局地戦を戦っている。そこではクリエイションの能力よりも、戦局を見る目のほうが大事だ。苦労して丘を陥しても、そこを確保しても将来につながらないようでは意味がないからね。
戦い方を工夫するのは大事だ。でも、それ以上に戦略が大事。フリーランスって、そういうことなんだと思う。

娘の苦しみとひきかえに、ボク「考えるクセ」を手に入れた。
一緒にオキナワに行けなくなったけど、我慢するっていうほどの我慢でもなくなった。

PS
あ、娘と全然遊ばないわけじゃないよ。むしろ、よく遊んでるほうだと思う。ただ、もともとが旅行好きではないこともあって、滅多に旅行はしないってだけなんだよね。人混みも嫌いだし。それでもディズニーランドには毎年行ったし、何回かは旅行もしてる。ある人が「子供との時間は黄金の時間だ」って言っていたけど、本当にそう思う。時間って取り返せないから、できるだけ一緒にいたいとも思うんだけど、中学生にもなると部活だなんだって、娘も忙しくて、黄金の時間も、それほど残ってないのかもしれない。でも、一緒に愛犬の散歩なんかしていると、たくさん話せて嬉しいんだ。
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