●[ごじゃっぺと〜さん]
25.コドモは育つ

娘、ごめん。本当はボクにもみやげはあったよね。ありがとう。

ボクには、いじめる側、いじめられる側両方の記憶がある。
どっちの記憶も陰湿だが、特にいじめられた記憶は、薄らいだりしない。小学生時代の記憶だから、今ではアタマの奥にカサブタのようになって張り付いているだけだが、決して直る事はなく、今でも、なにかの拍子にカサブタが剥がれて、傷口があらわになったりする。ふだんは忘れているけれど、塞いであるだけなんだよな。

娘は、どちらかと言うと、いじめられっ子だ。
ちょっとしたコトがウマくかわせない。よく言えばスれていないんだけど、コミュニケーションが下手だってことでもある。それで、話がズレたりしやすく、ウザいとか言われたりする。
このときも、そういうコトを抱えていた。
でも、子供は逞しい。ちょっとしたコトでズレたことは、ちょっとしたコトで元に戻る。
それをくり返して成長していくんだね。

ボクも元々はいじめられる側だった。他人とのコミュニケーションが上手くなくて、それで子供なりの警戒心みたいなものができてしまい、それが壁になって、なおさら距離をつくってしまう。小学3年生になったとき、新しいクラスメートの1人が「宇留野(本名はこう書く」という名札が読めなくて「オマエ何て名前なんだ?」と聞いてきた。それだけでボクはカチンときて「読めないほうが悪い」とか言ったものだ。後で考えれば相手に悪気はなかったと思うんだけど、そのときはバカにされたような気がした。ソレが原因で、彼とは仲が悪くなり、しかも親分肌の子だったから、クラスで浮くのはボクのほう。いじめられた。やがて2学期のある日、ボクはとうとうキレて大げんかとなり、今度はソレが原因で仲良しになった。
その後も、別の子と上手くいかなくて、何度か、いじめられる側になったりもした。5年生の頃に、マンガを描く事を覚え、ソレが支えになって、だんだんといじめがなくなっていった。ボクがいじめられっ子キャラではなくなったからなんだな。
それなのにボクは中学生の頃、いじめる側になったことがある。軽くからかうとか、その程度ではあったが、やはりアレはいじめだったと思う。被害を受けた当事者だったのに、その意趣返しのように他の者を攻撃するとは恥ずかしいかぎりだが、アレは、いじめられっ子だった当時の自分を見せられるみたいで嫌だったからのような気がする。そんなコトで正当化できることではないが。

いじめられる側にも問題はあると、よく言う。それは間違ってないと思うけど、だからって、いじめられる側が悪いはずはない。不用心で泥棒に入られたとしても、悪いのは泥棒のほうだろ?
いじめられている子に「頑張れ」とか、ボクは言わない。とにかく助け出す。いじめられる前ならともかく、すでにいじめが起こっているなら、助けるほうが先だ。火事になったら、まず逃げる事だよ。消火は安全が確認されてからでいいだろ。

ちなみに、劇中でボクは大人気なくわめいているけど、ここまでオロカではないよ。ただ、娘が自分が悪いからいじめられている、みたいなことを言ったので、そうじゃないと声はかけた。いじめっ子は大人になっても、どこにでもいるから、結局は、いじめられない自分に変わっていくしか身を守る方法はないのだけど、ソレとコレは別。それに、よその子はどうなってもいいというわけではないけど、ボクにとっては、娘の幸せが第一だしね。
ただ、あんなに病気で苦しんで、やっと学校にもいけるようになったのに、ソレをいじめるなんて!という親ならではの感情がなかったとは言えないから、相手の子に対する配慮には欠けていたかもしれない。反省しなきゃ、です。

でも、娘のほうが、そういう部分を分かっていたみたいだった。彼女は、たぶん、本当に全然気にしてない。仲直りできれば、それでいいみたいだ。
ボクより、しっかりしてる。ま、大人なんだかコドモなんだか分からないよ〜なボクよりは、大人になってもらわなきゃとは、いつも思っている事なんだけど。
中学生になった娘には部活を勧めた。ボクはマンガに救われたし、拠り所があると耐えられることがあるし、いじめ自体も少なくなると思うからだ。思惑通りにいじめで悩む事がなくなったりはしなかったが、それでも彼女は部活が大好きになった。親友もできたらしい。クラスにいじめっ子がいても、別な居場所を作ってあげたいというのだけは、上手くいったような気がする(小学生の頃から塾通いもさせていたが、それも学校のクラスだけが自分の世界じゃないんだということを、分からせるためだった。成績とかは二の次でね)。

親の思いとは別に、娘は娘なりに環境を利用して、成長している。どう成長するのかはわからないし、ボクみたいなスチャラカな親の元に生まれちゃったんだけど、せめて彼女の邪魔をしない親でありたいと思う。
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