個人情報や固有名詞はできるだけ伏せていますが、やりとりしたメール文面などは原文のママです。


■イバライガーとの出会い:その1 2008.06
最初に意識したのは、2008年の6月頃だった。

うるのさん、イバライガーって知ってますか?

当時マンガの連載企画を進めていた研究機関でのミーティングで、そう聞かれた。年に一度の一般公開に招く事を検討したいらしい。本気ではなくて、あくまでも「検討」で、ボクなら詳しいかもと思ったらしい。ま、確かにボクはアニメも特撮も大好きだし、色々な地域活動にも関わってますけどね。

だけど、ボクは全然知らなかった
へぇ、茨城にも、そういうご当地ヒーローがいるんだ、と思っただけ。それに、どうせよくあるテキトーなコスプレモドキなんだろうと思っていた。だって、ご当地ヒーローって大抵はカッコ悪いんだもん。特撮やアニメが大好きなヤツが「おおっ、やるじゃん!」と思うようなモノって滅多にないからね。コミケとかのコスプレなら、出来がどうあれ作り手の愛情があるから許せちゃうんだけど、ご当地ヒーローとか商売だけでやってる「萌え」とかは好きになれなかったんだ。自分が愛した女を、全然愛してないヤツがカネや権力で好き勝手にしてるのを見せつけられてるみたいな気持ちになっちゃうんだ。
もっとも、愛情がないとしても出来がいいなら喜んで見に行っちゃうんだけどね。とにかく、やるならガチでやれよ!と。
だから、そういうのに興味を持てなくて「ボクは関係ないもんね」という感じだったのだ。

その一ヶ月後、とある福祉機器メーカーさんから年末に行うイベントのポスターデザインを頼まれた。メーカーから届いた様々な写真資料の中に、義足を持った見知らぬヒーローの姿があった。

それが「時空戦士イバライガー」との出会いだった。

おっ、けっこうやるじゃん!というのが第一印象。
ポスターに組み込むために写真を拡大し、つぶさにチェックした。今どきのヒーローは、ついゴテゴテを増やちゃうんだけど、イバライガーはかなりシンプルだ。それでいてキマっている。それでいて、ちゃんとオリジナルでもある。いそうでいなかったデザインっていう感じで、想像していたチャラいご当地ヒーローではなかった。ていうか間違いなく、特撮やアニメを愛している人間が考えたものだ。デザインがオレたちは本気だ、と語りかけてくる。こんなヤツらが近所にいたのか!

そこでボクは閃いた。彼等と組めないかな?
当時ボクは、地域向けのコミック制作を考えていた。防犯とか防災とか環境問題とかへの啓蒙を意図した「ご当地コミック」を、ボクの地域活動として取り組みたいと思っていたのだが、イマイチ決め手に欠けていた。
そんなボクの前に颯爽とヒーローが現われたのだ。
もしもイバライガーと組めたら。同じテーマをヒーローコミックとして描ければ。
イバライガーのデザインを見る限り、彼等は「本物」っぽい。ボクを熱くさせてくれた大人たちに近い匂いがする。
つまり「愛すべきバカ」の匂いが。
もしそうなら、彼等と組めるかもしれない。
また熱い仲間を増やせるのかもしれない。
このとき、ボクはとてもワクワクしていたと思う。
まだ、一度も会ってないのにね(笑)。

ここでちょっと、イバライガーとは直接関係ないけれど「本物の大人たち」について語っておきたい。
ボクが知っている「本物」は、地域活動(ボランティア)に一所懸命な人々だ。ボクは10年以上前に千葉県柏市の市民活動(有志による音楽ライブ)に関わっていて、数年前からは地元・土浦のまちづくり活動にも関わるようになった。どっちも面白そうだから、自分から飛び込んだのだが、そこには私財まで投げ出して、地域のために尽力している人たちが本当にいた。
お金にもならないのに「オレたちの祭りだ!」とばかりに、本気で打ち込む大人たち。かっこいいんだなぁ。そこらの普通のお店のオッチャンたちなのにさ、あれこそ輝いてるって感じだった。
いや、ボランティアやってれば立派な人だ、などと言うつもりはない。お前ら勝手なことばかり言うなよ!と言いたくなるようなボランティア団体だって、ボクは知ってる。でも、ボクが今も積極的に関わっている連中は「本物の大人たち」だと思うんだ。それを証明できるエピソードは、いくらでもある。

例えば、千葉県柏市の音楽ライブをやっていた仲間たち。最初は支持者も少なかった自主イベントが、やがて定着し、毎年ン万人も集めるようになった頃のことだ。
ミーティングで「市が協力を申し出ている。ポスターの掲出などをやってくれるというので、せっかくだから任せてしまおう」という意見が出た。
一般市民だけでやってきた自主イベントが、市に認められたわけだ。やったぜ!こりゃラッキー!市が協力したいって言うんだし、資金も節約できるし、いや市から援助してもらえるかも。これに乗らない手はないよな。
ところが、このメンバーは違った。

「これはオレたちのイベントなんだ。誰かに頼む前に、まず自分たちで隣近所に声をかけてポスターを貼らせてもらうことからやるべきだ。市が認めてくれるのはありがたいけれど、力を借りるのはやめようじゃないか。」

そんな意見が出てきて、最終的には満場一致で「自力だけでやる」ことに決まったのだ。
こういうのってカッコイイけど普通はキレイゴトで、なんだかんだ言っても利用できるものは利用しちゃうのが普通だ。利用したってお金がかかるわけじゃないしね。成功してから協力を申し出てきた市を嫌ったわけでもない。みんな、いっぱしの大人たちでお店を経営していたりするんだから、そんなことを根に持つほどガキじゃないもの。それに、ポスターを掲出するって、意外に簡単じゃない。一軒一軒、家々を周り、頭を下げて頼んでいく。断られることだって多い。みんな仕事もあるしね。
でも、この連中は誰かを頼るよりも、自分たちでやることにこだわった。自分たちで始めたことなんだから、苦労も自分たちで背負うべきだと。少なくとも、やるだけやってから、どうしてもダメだったときに改めて協力を頼むべきだと。
そう言う奴がいて、それにみんなが賛同して、そして結局、力を借りずにやり抜いてしまった。お年寄りの参加者も多かったのに、みんな逃げなかった。
彼等は、このことだけじゃなく、何万人も集まる音楽ライブに関わる全部をやり抜いた。最初はド素人だらけだったのに、そういう姿にプロが次々と協力を申し出てくるようになって、予算はわずかなくせに、最後は他地域の大規模イベントにも負けない程になった。有名アーティストも交通費程度で駆け付けてくれるようになった。それを10年間続けたんだ。かっこよすぎる!あれこそ大人の鑑だよ!
ボクはそういう連中の仲間だったんだ。これはボクの誇り。

ちなみに、イベントが市民に期待されるようになると政治家とかも寄ってくる。ある年、イベント会場に地元の議員が、さも親しそうに支援者を連れてやってきたことがある。何もしてもらった覚えはないんだけどね。自分はこういうことを支援してるよっていうパフォーマンスなのがミエミエ。
で、こっちに親しく声をかけてくるんだけど、適当にあしらって、その議員がいる間だけ、本部のテントから誰もいなくなっちゃった。議員さんは面目丸つぶれだったろうけど、ザマミロ。議員なんか知った事か。止められるモンなら止めてみろ。ボクがやったことじゃなくて、実行委員会の全員が即座にそういう対応をしたってことなんだけど、いやぁ痛快だった!

またある年は、イベントに小学3年生の娘を連れていった。当時、娘は身体が弱く、いじめられっ子で、友だちも少なく、ボクと休日を過ごす事が多かったんだ。
会場には来場者の他に、400人近くのスタッフがいる。近所のオッサンや学生ボランティアなどで全員ノーギャラだよ。お弁当とスタッフTシャツだけは用意するけれど、それも学生にだけ。社会人のスタッフは手弁当で、スタッフシャツも自費で買うんだから。
元々、自分たちが「青空の下で思いっきり音楽を聴いてみたい」といって始めたイベントなのに、ドイツもコイツも、駐車場整理、仮設トイレの掃除といった仕事で手一杯で音楽なんて聴けやしない。真夏のイベントだから、死ぬほど暑い。なのに、他人のオシッコが染み付いたトイレをピカピカにすることに全力を上げている学生がいる。誰かに言われたわけじゃなくて、自分でやるべきことを見つけて、やっているんだ。ここでは年齢なんて関係ない。70歳過ぎたオジイチャンも二十歳前の若者も同列の仲間。友だちなんだ。もちろん、ボクもその一人だ。
目を丸くした娘の顔は、今でも覚えている。
「友だちが400人もいるなんて、お父さんスゴイ!!」
これですぐに娘がいじめられなくなったり、友だちが増えたりしたわけじゃない。でも、娘は何かは感じたみたいだった。2010年現在、娘は高校生。いまいち要領が悪いトコは変わらないんだけど、毎日元気に学校に通い、友だちともうまくやっているようだ。

とにかくボクは、そういう連中と日々を過ごした。ボクが関わったのは途中からの6年分くらいなんだけど、今でもかつての仲間は年に数回集まり、懐かしい話に花が咲く。いくつかの人からはホームページの仕事を任せてもらったりもしている。あのクソ暑い中で、それでも精一杯楽しんでイベントをやり続けた同志。日が暮れて、誰もいなくなった真っ暗な公園で乾杯したビールの旨さは忘れられない(オレ、下戸なのにね)。

この集まりだけじゃなく、他にもアツい大人をボクは何人も知っている。地元・土浦のまちづくりに一所懸命だったある男(当時40歳くらい)は、自分が引越しして街を出て行くというのに、その自分の送別会だというのに、まちづくり議論で熱くなり、興奮して「もぉいいよ!」と叫んで泣きながら宴会場を飛び出していってしまった。主賓なのに!
なんと大人気なくて素敵なヤツなんだろう!最後の最後まで、彼は地域の事に必死だったんだ。周囲の人々も「失礼なヤツ」と怒ったりはしない。むしろ感心したもんだ。

彼だけじゃない。あの人も、あの人も、本当にすごい。すべてを紹介するのは無理だけど、市民が知らないところで、一所懸命やっている人は本当にいる。逆にナメた真似をしてるような連中(官僚とかさ)もいるんだけど、世の中そういうのばかりじゃないんだ。
彼等はみんな、そういうことがお金や商売につながると思ってやってるわけじゃない。もちろん付き合いの中から商売上の利益が出る事はあるけれど、それを当てになんかしていない。というか、そういうスケベ心では続かない。商売上のメリットを当てにして参加してくるヤツもいたけれど、そういう人は2年と持たないね。いつの間にか来なくなっちゃう。
かといって滅私奉公でもダメ。自分を犠牲にするなんていう美学でも、やっぱり持たない。ただひたすら「やりたいからやる」という純粋さでないと、こういうことはできないんだと思う。楽しんでないとダメなんだよね。


さて、そういう連中と出会い、おつき合いさせてもらっているボクは、というと、彼等ほどにやれてないんじゃないかと、ずっと思っていた。
あの誇らしい男たちと同等におつき合いしたい。オレもやってるぞ、と言いたい。ずっと、そう感じていた。彼等は「うるのサンも、頑張ってくれているじゃないか」と言ってくれる。本音でそう言ってくれていることも感じている。でも、ボクはもっとやれるんじゃないか、自分はまだヌルいんじゃないかと感じていたんだ(ボクは大抵はWEBサイトや広報物などの制作や管理で協力していて、黙って自費でサーバやドメインを維持していた。数年後になって、それを知った仲間たちが以降の管理費実費をワリカンで用意してくれるようになったけど)。

とにかく自分がやっている程度じゃ仲間の苦労に及ばない、とボクは感じていて、でもボクはボクの得意ジャンルでしか力を出せない。ボクが「やった」と満足するためだけのために余計なコトに首をつっこんで、迷惑をかけるなんてのは絶対に嫌だし。
そこで考えたのが、地域のためのコミックを自主制作して提供するということだった。ウチのような零細規模でも、月2枚程度ならサービスで描く事はできる。そうやって描きためて年1回、20ページ前後の作品をボランティアで描き、地元の公共団体や非営利の協会などに提供するのである。
まぁ、これは営業的なデモンストレーションにもなるし、地域とのパイプを太くすることにもつながるわけで、完全に純粋なボランティアではないんだけど、それでもやらないよりはやったほうがイイコトだもんね。

その第一作の「あらすじ」はすでに出来ていて、近郊市町村にプレゼンもしてあり、反応もよかった。だが、自分ではまだ納得できていなかった。「防犯意識と地域の結びつき」をテーマにしていたんだけど、教訓的すぎて、一番のターゲットである子供たちへのアピールが弱いんだよね。つまりマンガとしてのエンターテイメント性に欠けているんだ。
一応ボクもプロのはしくれだから、そのままでも、企画としては成立するように作られてはいる。シナリオもそれなりに飽きさせない工夫はしてある。でも、やっぱりパンチが足りないんだ。所詮広報マンガという枠を出ていない。いわば、道徳の授業で使いそうなお上品さがあって、つまり嘘臭いのだ。子供たちが本気で共感するとは思えなかった。このままでは、ボクの営業企画というだけであって、本当のコミックじゃない気がする。
それで上々の反応を得ていながら、実際の執筆には進めていなかったのだ。

そんなときに、ボクはイバライガーと出会ったのだった。


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