個人情報や固有名詞はできるだけ伏せていますが、やりとりしたメール文面などは原文のママです。


■そ〜だったのか!復活の裏側! 2009.09
ここでボクが離れていた間に、イバライガーに起こった事を書いておこう。
以下は、ボクが知る範囲のことで、当事者ではないため正確じゃない部分もあるかもしれない。また、BOSS氏、センセイ氏以外の固有名詞等は伏せさせていただく。

代表者の逮捕という大きな不祥事から、わずか半年足らずで精力的な活動を再開したイバライガー。ボクには、それが不思議だった。ヒーローの危機に、理解者、支援者が集まってきていたことは、昨年末の福祉イベントで知っている。だが、その大半は学生を中心とした若者たちであり、資金、コネクション、マネジメントなどの全てにおいて、本格的な行動ができるとは思えなかった。
イバライガーの火を消さない、それが精一杯だったはずなのだ。
なのに2009年春には復活ライブを開催し、茨城出身の特撮ソングのカリスマ「宮内タカユキ氏(この方の名前は伏せなくていいよね)」による主題歌CDまで発売している。
さらにTシャツ、リストバンドなどの本格グッズ。BOSS氏もセンセイ氏も、極貧に耐えながら活動を続けていたはずで、どう考えても、それなりのスポンサーがいなければできることではない。

ボクが後日になって知った経緯は、以下のようなものだった。

2008年夏、東京の広告代理店が接触してきたらしい。イバライガーに注目し、スポンサーというか、ようするに、その会社の所属タレントにならないか、といった話だったようだ。
イバライガー側としては、即答は避け、契約条件などについて検討していたようだが、その最中に前述の不祥事による活動休止が起こった。代表者でありイバライガーの創作者でもあったBOSS氏は、イバライガーを守るためにも活動から身を引かざるをえなかった。
そして窮地に陥ったイバライガーは、広告代理店の申し出に応じた。
イバライガーの商標権を広告代理店に譲渡し、活動再開を任せたのである。

なお、このとき広告代理店に譲渡したのは「商標権(つまり時空戦士イバライガーというコトバ)」のみであり、デザインなどの意匠権やコスチュームなどの所有権などの権利はBOSS氏のものなので、BOSS氏の許可なしで広告代理店がイバライガーとして活動することはできない。

これを受けた広告代理店は、同じタイミングでイバライガー支援を申し出てきた学生たちを中心にした団体「茨城ヒーロープロジェクト(IHP)」と契約し、イバライガーを名乗る代表権をIHPに預け、活動資金や給料を提供した。
これが短期間での活動再開の事情だったわけである。

だが、あまりにもビジネス的な状態に、それまでイバライガーを支えてきたセンセイ氏は反発した。これを書いている2010年12月現在、ボクは彼と再会していないから、姿を消した本当の理由は分からない。
だが、これまでの苦労や思いを知らない連中が突然「IHP」を作り、代表を名乗り出して「情熱を注いで自分たちが生み出したヒーロー」を好き勝手にしていることに納得できなかっただろうことは想像できる。ヒーローになってはしゃぐ姿に、我が子を奪われたような絶望を感じたかもしれない。また活動が、単なるビジネスの道具になっていくのも堪え難いことだったかもしれない。いずれも、ボクが彼の立場だったら、そう感じただろう。

以前のコラムで書いたように、ボクも以前に心血を注いだプロジェクトを奪われ、潰されたことがある。
だが、ボクはギリギリのところで「人は、決して失われないものを持っている」ことに気づけた。ボクが失ったと思い込んでいた多くの人に、それを気付かせてもらえた。ボクは何も失っていなかったのだ。これまでに作ったもの、描いたものじゃなくて、人々はボクという個人の作り出していくものに期待してくれていた。過去の実績なんてモノは、しょせんは通り過ぎたモノでしかなかった。そして、ボクがこれから生み出していく「ナニカ」は、ボク個人と切り離せない。誰にもそれを奪うことはできないんだ。
ボクは、それを多くのお客様や仲間に気付かせてもらえた。おかげで、今こうしてイバライガーに関われて、ボクの夢も、まったく色褪せずに続いている。
ただ、それにそれに気付けたのは後になってからのことだ。少なくとも、そのときは絶望したものだ。

センセイ氏もそうだったのではないだろうか。実際、不祥事、体制の急変といった一連の変化の中で、彼は鬱のような状態になっていたとも聞く。
彼は、当初は新体制下で手伝っていたようだが、いつしか消えていったという。

風の便りによると、彼は今も元気に本業で働いているらしい。おそらくはイバライガーに打ち込んでいた頃よりも、ずっと生活はよくなっているだろう。

でも、その心は癒されたのだろうか。
ボクには、センセイ氏が「あのときボクを救ってくれた人々と出会えなかった自分」のように思えてしまう。勝手な思いだが、そう感じてしまう。

センセイ氏に会おうと思えば、たぶん、いつでも会える。BOSS氏は、距離は開いてしまったものの、今も彼とのパイプを保っているようだし、遠くに引越したわけでもないようだ。
だが、ボクは彼を訪ねていない。

もう一度、戻っておいでよ。
そう言う事が正しいかどうか、自分でも分からない事だからだ。分からないくせに、今会えば、ボクはその言葉を口にするだろう。それは彼を苦しめるだけかもしれないのだ。
経緯はどうあれ、新たな道、新たな夢を歩む事も、1つの正解だ。何が正しいのかは正に相対的で、誰にも分からない。ある人にとっては大会社の社長よりも浮浪者のほうが幸せだということもあり得る。
それに今のイバライガーの状況が、センセイ氏の思いとは違う可能性も十分にある。内部で関わっていれば、そこまでの経緯にも関わっているから「今の状態」であることを受け入れられるだろうが、外部に出てしまえば、別の視点になるからだ。これも相対的なことで、やはり何が正解かは誰にも分からない。

・・・いや、そういうのは理屈だな。単に彼に会う勇気が出ないだけだ。
彼が今も思い悩んでいるとしたら、その傷に触れたくないし、きれいさっぱり忘れているとしたら、その寂しさと向き合いたくない。そういう身勝手さが、彼と会っていない理由なんだ。

でも、いつか再会したいとは思う。
今はまだ、お互いに「かつて」を引きずりすぎているけれど、いつかは「かつて」が霞んで「これから」がはっきり見えてくるはずだ。そのとき、会いに行こう。
そして、またカラオケでアニソンを競い合いたい。そう、お互いにジジイになってるくせに熱血ソングを歌いまくってさ。
血管がブチ切れて絶命したって構わない。それはそれで見事なピリオドだよね。
その日まで、ボクは変わらずにいられるのかなぁ。



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